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政教分離

概要

 先頃、小泉総理大臣の靖国神社参拝で紆余曲折があった。
これを機械に、政教分離について(内容は以前別の掲示板でも書いたものとほぼ同じであるが)書いてみたいと思う。

宗教の定義

 まず、政教分離を語るには宗教とはなんぞやということを明確にしなければいけない。
もちろん宗教という言葉の定義をしようと言うことではなく、政教分離を語るときにいう宗教とは何を指すのかというだけの狭い定義である。(つまり何を政治と切り離せばいいのかということ)
 宗教にはいくつもの種類があるが、大別すると3種類に分けられる。(なお、以下の分類は私が独断によって分類し命名した物なので宗教学などでの一般的な定義とは異なるかも知れない)

 次に政教分離の目的を考えよう。
政教分離の生まれた背景は、ヨーロッパに於いてキリスト教組織が強大な力を持って政治に干渉し魔女狩りなどが行われたことに反省してと言うことになるだろうが、目的という意味では(日本に於いては)「宗教の自由」を守るためという意味合いが大きい。
つまり、憲法で「宗教の自由」を保証しているにもかかわらず国が特定の宗教に肩入れすると国民の血税が不公平に使われることになり、最悪の場合は宗教弾圧に陥る可能性があるため、政治は特定の宗教に荷担しないと言う決まりを作ったと言うことだ。
 このように整理すると、政教分離でいう「宗教」というのに原始宗教は含まれないだろうと言うことは見えてくる。
原始宗教はあくまで自然発生的な物で、特定の組織が絡むわけでもなく、特定の形式が定まっているわけでもないので「宗教の自由」を脅かす物にはなり得ないという訳だ。
高等宗教は明らかに抵触するので説明の必要はないだろうが、問題は土着宗教だ。
 土着宗教は神仏合祀に見られるように比較的他の宗教との融合にあまり問題がなく、土着的であるることから文化自体にその影響が色濃くなっていて、同一民族内なら無条件に受け入れられることがほとんどである。(例えば友達から「初詣に神社に行こう」と言われて抵抗を感じる人はほとんどいないだろう)
そのため「政教分離の対象にしなくても良い」と言う意見を言う人もいる。
しかし、完全に単一民族オンリーの国なら良いが、日本にはアイヌ民族や琉球民族も居るし、帰化も認めているのだから単一民族であるとはまず言えない。  と言うわけで、私は神道も充分に政教分離で言う宗教の対象になりうると判断する。

靖国神社参拝

 以上の前提をもって、本題である「首相の靖国神社参拝」を考察してみる。
まず靖国神社は多少特殊な意味合いを持っているとはいえ、あくまでも神社であり宗教であるのだから政教分離の対象には入ると思う。
そこで、首相の参拝自体がどうなのかと言うことになるが、首相と言ってもあくまで個人でもあるわけなので「私的参拝」なら問題はないだろう。
「公的参拝」は問題となる。
 では、何を持って「公的」なのか「私的」なのかを判断すればよいのだろうか?
本人が「公的だ」と公言すれば明に公的参拝になるだろうが、そうでない場合は判断が難しい。
普通の会社員なら「勤務時間中の参拝なら公的」と見なすのが普通だが、総理大臣という職業は普通の会社員とは全く異なり時間勤務ではないのでそう言う単純な切り分けは出来ない。
公用車を使うという点も警備の都合上致し方ない部分は強いだろうし、記帳などで「内閣総理大臣」という肩書きを書くのも一般的に行われることである。(一般個人に於いても私的参拝で会社名や役職を書く場合は多いだろう)
 と言うわけで決めては結局「公金使用」の有無だろう。
そもそも政教分離の目的を考えても公金が使われたり国民に参拝を強制したりしなければそれほど問題もない。
そう考えると、今回の小泉総理大臣の参拝ではポケットマネーで玉串料を支払ったそうなので特に問題は無いだろう。
(中曽根元総理のように公金で玉串料を出すのは明らかに政教分離に抵触しているだろうが)
 しかし、個人的な感想としては些か失望という感じだ。
私的な参拝として行うなら「個人としての参拝だ」と明言して当初言っていたとおり15日に参拝すれば良かっただろうし、外交上の問題などを懸念するのなら総理大臣在任中はきっぱりと参拝を取りやめればよいだろう。
結局、小泉氏も今までの政治家と大差なく、日本の悪しき伝統である八方美人政策を採るのではこの先が思いやられる。

国家的な慰霊について

 最後に国家的な慰霊の是非や方法について述べておく。
上の定義で書いたように、私は原始宗教自体(つまり慰霊という行為)は政教分離の範疇ではないと考える。
そして、戦没者や国家的に意味のある死亡者に対して慰霊を行うのは「遺族福祉」という観点および歴史上の事実に対する反省/教訓という意味からも国家の事業として必要な物だとおもう。
 では、どのように行えばいいかという問題になるわけだが、何かしら特定の宗教色を出してしまうと他の宗教を信じる人間が参拝できないとか、慰霊行事の際に特定宗教団体に公金が流れる結果になってしまうという問題が発生するため、極力既存の宗教色を廃して行うべきだろう。
例えば、公園などに十字架とか余計な印を入れない石碑などを建て、そこに慰霊対象者の氏名などを掘るだけにして、慰霊行事では黙祷など特定宗教の儀礼となっていないような行為を行うだけに留めればどんな宗教を信仰する人間でも参加/参拝することが出来るし、特定の宗教団体に公金が流れることもなくなる。
 ちなみに、以前「原爆慰霊祭は既に新たな宗教になっているから靖国参拝をとやかく言うならこれも禁止すべきだ」などと言っている人がいたが、大多数の人がその行事や施設の体裁に宗教色を感じなければそれは政教分離に抵触するとは言わないだろうから特に問題はないのではないかと思う。
まあ、結局こういった物は絶対論があり得ないため、結局「多くの人がどう思うのか」というところに落ち着かざるを得ないから、実際には国民投票でもしないとはっきりとは言えないが。


 

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