HeavyBommer

正義とは?(善悪の基準)

殺人はなぜいけないのか?

 この問いにまともに答えられない人がこんなに多いとは思わなかった。
大分前の話になるが某ニュース番組では高校生のこの問いに有識者と呼ばれる大人達数人いたにもかかわらずまともに答えられていなかったし、あるボードでの討論に於いても答えられない(もしくは正解が解っているにもかかわらずその答えではダメだと思いこんでいる)人が結構いた。
この問いに対する私の回答は最後に回すとして、ヒントだけ出すとすれば「倫理など余計なことを考えないで殺人が肯定される世の中を想像してみて下さい」と言うことである。(ほとんど答えだが)
※ここで「答え」とか「正解」とか言っているのはあくまで絶対的な物ではなく私が考える答え/正解である


数の理論

 まず断っておくが、ここで言う善悪とか正義とはあくまで社会的な物である。
個人的な信念としての善悪や正義のことではない。
それをふまえた上で以下は読んでいただきたい。

 社会とは人間の集合である。
集合である以上、様々な考えが存在するわけだが、各々が自分の考えだけに基づいて行動していたのでは社会が成り立たない。
そこである程度のルールを作る必要がでてくる。
では、どうやってそのルールを作るのか?
中世の封建社会では、王など支配者の一存であったが民主的な集団においてはより多くの人間が必要だと思うルールが社会のルールとなっていく。
そのルールは自分自身にも適用されるわけであるが、例えば「自分が他人を殴ること」と「自分が他人に殴られないこと」を天秤に掛けた場合、大半の人は自分が他人を殴れなくても他人から殴られない方が良いと思うだろう。
その結果、「人を殴ってはいけない」というルールが成立し、人を殴った者は悪者であると見なされるようになる。
正義という概念も基本的には同じようにして生まれる。

 現在の法律/憲法などは複雑な政治機構によって決定され、一度決めるとそう簡単には変更されないので必ずしも多数派の意見そのものであるとは言えないが、そう言う法律自体を見直すべきなのであって、社会的善悪が多数派の意見そのものであることに変わりはない。
(例えば制限速度を10km/h超えただけでも法律的には問題ありだがこれを社会的な悪だと思う人はかなり少ないだろうし、逆にエレベータや電車で降りる人より先に乗ろうとするのは法律上問題なくても社会的に悪だと思う人は多いだろう)


もう一度、殺人はなぜいけないのか?

 ここまで読んでいただければ自ずと答えは見えているであろう。

 結局、多くの人間にとって「自分が他人を殺すこと」よりも「自分が他人に殺されないこと」の方が遙かに重要であるから、殺人はいけないことだとなるのである。
殺人を肯定した場合、自分が人を殺して良い変わりにいつ自分が殺されるか(それも別に思い当たる理由も無しに)解らないと言うのでは、まともに社会活動などやっていけるわけがないのだから当然の考えだろう。
同じ事は窃盗などほとんどの犯罪にも言える。
(例外はわいせつ関連の犯罪とか道交法の一部などだがこの辺りは考え直す時期が来ていると言うことだろう)


 

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