Re:「インターネット哲学」 2002/03/28号 ★★★★★★はじめに(新規登録の皆様へ)★★★★★★  皆様始めまして。b_51と申します。  このマガジンは諸野脇正氏のメールマガジン「インターネット哲学【ネット社会 の謎を解く】」(マガジンID:0000075412、 登録アドレス:http://www.mag2.com/m/0000075412.htm)への返信という形態を採っ て氏の意見に対する個人的な見解などを書いて行きたいと思います。 一応引用の形である程度氏のマガジンの文章は含めますが、大規模に引用しても見 づらくなるだけですので最低限の引用しか行いません。 ですから、基本的には前記のマガジンも購読している方を対象とします。 と言うことで先に本マガジンを知った方は諸野脇正氏の「インターネット哲学」も ご購読してくださるようお願いいたします。  それから発行周期は基本的に元になる「インターネット哲学」に準じますが、特 に意見がない場合や私の個人的事情(本業が忙しいなど)によっては複数の号にま とめて意見する場合もあるでしょうし飛ぶ場合もあると思いますので、不定期発行 であることをあらかじめご了承下さい。  なお、このメルマガの内容は非営利目的(有料媒体でもそれが利益を上げること を目的としていないもの−例えば印刷や配布の手数料のみで販売しているようなも のは非営利と見なします)なら基本的に転載自由ですが、転載する際には記事の出 典を明確にしてください。 (このマガジンでの引用形態のような感じなら全く問題無しです) 営利目的の場合はケースバイケースですので必ず事前に連絡下さい。  最後にわざわざ断らなくてもお分かりだとは思いますが、このマガジンはあくま で私b_51が勝手に発行しているものですので、諸野脇正氏とは直接関係ありません。 ですので氏にこのマガジンについての問い合わせなどを送ることはおやめ下さい。 ※本マガジンの登録解除方法と私の連絡先などは最後に書いてあります。 ★★★Re:『インターネット哲学』に「返信」するメルマガが創刊?★★★ #このブロックで引用マーク(>)が行頭に付いている部分は特にことわりがない限 #りメルマガ「インターネット哲学」からの引用です  今回は「反響特集」として本マガジンを取り上げていただいたNo.029への返信で す。 ターゲットが本マガジン=筆者であるので特に「返信」の毛色が強い者となってい ます。 > もちろん、何らかの意見の違いがなければ、「返信」をしようとは思わないは >ずです。 > しかし、一般に、たいしたことのない文章に「返信」しようとも思いません。 > 「返信」する価値がある文章として、私の文章を選んでいただいたのです。 > 選んでいただき、光栄です。 > b_51さん、ありがとうございます。  こちらこそ、このようなマガジンのことをご快諾いただけて大変感謝しておりま す。  一般的に自分の意見に相反する意見というものを快く思わない場合は多いでしょ う。 しかし、本来それではいけないのです。 相反する意見というのがある程度まともなものであればむしろ歓迎すべきでしょう。 偏向しがちな考えに揺さぶりをかけて新たな視点を提供してくれるわけですからね。  また、自分の意見に自信があれば相反する意見があってもそれを説き伏せるだけ の気構えがあってしかるべきとも言えるでしょう。  そう言う意味でも諸野脇殿は優秀な哲学者であると私は思います。 (逆に「相反する意見」を潰しに掛かるような人はお世辞にも優秀であるとは言え ません) > 「返信」の対象が諸野脇の文章だけでは狭くないでしょうか。 >…ですから、私の文章だけでなく、広く >いろいろな文章を検討されることをお勧めします。哲学としては、広くいろいろ >な文章を疑う必要があります。(あっ。哲学ではないのか?)  貴重なご意見ありがとうございます。  確かに仰るとおりだとは思います。 ただ、私も片手間での発行ですのでそれほど多くの文章を読んでという訳にもいき ません。 一応諸野脇殿の意見とは直接関係ない話題もコラムとして取り上げていくつもりで すが、もともと基本的な目的は諸野脇殿のメルマガ読者の方々に一つの意見や見方 だけでなく異なった視点からの別の意見を提供していこうというものです。 色々な意見があることが解ればそこから自分なりに考える人も少なくないでしょう。  私は哲学や政治などというものは人の意見を鵜呑みにすることではないと思って おります。 人の意見が参考やきっかけにはなっても、最終的には各人が自分なりに考えて導き 出すものでしょう。 (きちんとかみ砕いて飲み込まないと消化不良になるのと一緒です) そのためにも一つの視点だけでなく、色々な視点からの意見を提供することは大事 なことだと思っています。  まだまだ不十分であることは私自身も認識しておりますが、まずは出来ることか ら出来る範囲でということでのスタートです。  ちなみに本マガジンが哲学かそうでないのかという点に関しては「哲学」という 言葉の定義にもよってくるでしょうから、敢えて肯定も否定もしません。 上記のような趣旨を哲学ととるか非哲学と取るかは読者の方々のご判断に委ねます。  以下は余談です。 > 現在、二千百です。  すごいですねぇ。 このマガジンなど創刊号の発行部数で百をちょっと超えた程度です。 改めて力の差を感じてしまいます。  これからもより読者の方々に認めて貰えるよう努力して参りますので皆様よろし くお願いいたしますm(vv)m 掲示板へのご投稿も首を長くして待っています。 ★★★★★★コラム★★★★★★  ここには基本的にメルマガ「インターネット哲学」とは関係のない私自身の思い ついた哲学的/政治的なネタを書いて行きます。 今回は本題が短いのでちょっと長めです。 ☆宗教は21世紀の夢を見るか?  ちょっと解りずらいタイトルかもしれませんが、「21世紀に宗教は必要とされ るのか?」というような趣旨のコラムです。 あらかじめ断っておきますが、宗教に対する否定的な意見がメインになります。 とは言っても頭から全てを否定するわけではありませんので、宗教家の皆様方もど うか途中でお怒りにならずとりあえず最後まで読んでいただけると幸いです。 (そうは言っても宗教を否定する文章なんかどんな理由であれ読みたくないという 方はこの先を読まないで下さい)  まず、宗教の目的を分析しましょう。 (ここで言う宗教というのはキリスト教や仏教などのことで一部の新興宗教や原始 宗教は当てはまらない場合もあると思います) 宗教の目的は大きく分けると 1、儀式を執り行うための形式(死者への慰霊なども含みます) 2、願掛けや懺悔 3、モラル/道徳や生活規範などの徹底 という3つになると思います。 1や2は特に議論の余地はないのですが、問題は3です。 中世や近世ではとりわけ3は重要視されてきました。 時には政治権力が宗教のもつ3の効果を巧みに利用しても来ましたし、逆もしかり です。 今でも熱心な信者という方々はこの点を重視している場合も多いでしょう。 しかし、私としてはこの部分は「余計なお節介」であって、21世紀の社会には害 にしかならないと考えています。  なぜそうなるのかを説明するためにはまずちょっと脱線気味の話をせねばなりま せん。 技術畑の方なら実感的にお解りになると思いますが、優秀な技術者というのは「如 何に多様な視点でものを見ることが出来るか」という点がかなり重要なファクター を占めています。 もちろん知識など他にも重要なことはありますが、俗に言うひらめきとか勘とかも この点に由来すると私は思います。 具体的にどういうことかというと、例えば新製品を開発するに当たってクリアすべ き技術的課題があったとします。 ここでは天体望遠鏡を作るというのを例に使いましょうか。 それまでは望遠鏡と言えばガラスを削ったレンズを使うのが定番だったとしましょ う。 しかし、巨大な望遠鏡を作るための巨大なレンズを作れるだけの巨大なガラスの塊 が作れないとします。 このような場合、選択すべき道はどうにかして巨大なガラスの塊を造ること、ガラ スに代わる材料を見つけること、あとはレンズの代わりになるものを見つけること くらいでしょう。(実際にはもっとあるかもしれませんが) 最初の方法は誰でも思いつきます。 2番目くらいまでいける人も多いでしょう。 しかし、3番目(といってもきちんと実現可能な具体的なもの)に到達できるのは 発想の転換が出来る人だけだと思います。  実際現在の大型望遠鏡はほとんどレンズではなく凹面鏡を使っています。 つまり、光を屈折させるものとしてガラスなどの透明な物質を使うのではなく、光 を反射する鏡を使うという訳です。 この「発想の転換」は基礎知識がしっかりと身に付いていて、ちょっと離れた視点 で自分のやっていることを(ある程度)客観的に見ることが出来るから出来る技で す。 ガラス製造職人は鏡にも詳しいかもしれませんが、基本的な目的が「光を曲げる」 ことだという基礎知識がないためこの結論には達しないでしょう。 また、基礎知識の備わっている望遠鏡技術者でも、今まで自分のやってきたことに 盲信しすぎていると、「望遠鏡はレンズで作るもの」という固定観念が強くなり、 なかなか「退いて見る」ことが出来ません。 そして、これは技術的な分野だけでなく大半の分野に言えることです。  話を本題に戻しましょう。 宗教で一般的に行われている道徳教育などは結果を一意的に押しつけるだけです。 つまり、「汝、殺すなかれ」というようなものです。 これは先ほどの例え話で言うなら、望遠鏡の設計会社が子会社のレンズ製造会社に 「巨大なレンズを作れ」とだけ言っているようなものです。 子会社の技術者の中にはもっと背景的な情報があれば「鏡で代用する」ことを考え つく人がいたかもしれないのに、それをシャットアウトしてしまっているわけです。  同じように、宗教の「結果だけを強制させるスタンス」は根本的な問題解決になっ ていません。 もちろん、中世のような封建社会で支配者が上手く民をコントロールすればよいと 言う状況ならこれは有効(被支配民に余計なことを考えさせない方が都合がよい) ですし、知識ベースの非常に低い集団(原始的な生活をしているような人々など) にある程度の秩序をもたらすためにも有効でしょう。 ただ、基礎的な教育が一通り全ての人間に施され、政治は民主主義で行うような先 進国に取ってはこれではダメです。  極論ですが、全ての人が同じ考えを持っていたら民主主義は全く意味の無いもの になります。 そう言う状況ではその「考え」を指導する人間や組織の意のままになってしまうで しょう。(実際アメリカなどキリスト教が実質上国家宗教になっている国ではそれ に近い部分が多少現れていると思います)  では、どうすればよいのかと言うことになりますが、結局のところやることは実 に単純で「原理原則を教える」「事例を教える」「自分で考えさせる」ということ になります。 望遠鏡の例であれば、レンズ製造の子会社にも設計会議に出て貰って背景知識など を含めてディスカッションすれば問題が解決できた可能性も高いでしょう。 それと同じで「汝、殺すなかれ」はギブアンドテイクの社会原理で簡単に説明が付 きます。 社会原理まで説明していると非常に長くなるのでこの辺はまたの機会※にするとし て、これを簡単に言うと「私は貴方を殺さないので私のことも殺さないでください ね」という約束をみんなでやるというようなものです。 そして、こういった約束をしないと集団での生産活動などは事実上不可能になりま す。 こういった原理が解っていれば別のことにも応用は利きますし、ケースバイケース で柔軟な対応も採れるというものです。 (例えば「武器を持った犯罪者を警官が射殺するのは良いのか?」というような)  と言うわけで結局のところ「神を信じよ」という一意的で押しつけ的な宗教的道 徳教育は、基礎的な教育が世界の隅々まで行き渡り情報も迅速かつ正確に伝わるよ うになる(と予想していますが外れるかもしれませんね)21世紀には生き残れな いであろうと予想(希望)します。 これからの宗教は、大多数の日本人がそうであるように(とは言え日本人がみな上 記のような原理を理解しているわけではないので宗教に対するスタンスという側面 のみでの例です)あくまで儀式等の形式として存在していくに留まるようになる (べき)でしょう。 ※http://b-51.hp.infoseek.co.jp/b_51_justice.htmlに参 考記事がありますが、そのうちコラムでも取り上げるつもりです ★★★★★★あとがき★★★★★★  最後まで読んでいただいてありがとうございます。 登録の解除は http://b-51.hp.infoseek.co.jp/magazine.html#philosophy の解除フォームを使うか http://www.mag2.com/ で本誌のID「0000087123」を検索して解除してください。 では、今後ともよろしくお願いいたします。 ************************************************************************** 発行者:b_51 発行システム:http://www.mag2.com/ マガジンID:0000087123 ご意見/ご感想などはお気軽に http://b-51.hp.infoseek.co.jp/ の「掲示板」か mailto:b_51_@anet.ne.jp へお願いします。 **************************************************************************