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教育改革

現状の問題と教育改革の概要

 教育改革の目的は日本人の中身を改革することにある。
と言うことで、まず今の日本人のどこに問題があるかを挙げておこう。

 では、どうすればいいかと言うことになるが、本質的に全てを良くするためにはかなり広範囲での改善が必要である。
しかし、それを言っていても始まらないので、まずは学校教育(義務教育)から改革していくのが良いだろう。(一番手を付けやすくかつ効果が全体に波及する)
そして、幼児教育を行う親への教育も必要だろう。

 簡単に言うと、個性を尊重した教育自分自身で考えさせる教育自主的問題解決の実践と言ったところだ。
以下、実現手段を含め個別に説明していく。


個性を尊重した教育

 こういうと真っ先に反論として出てくるのは「現在の教育がまさにそうでありその結果モラルや常識の欠如した犯罪者を作っているではないか」という意見である。
しかし、これは的はずれである。
現在の教育は(学校にしろ親にしろ)個性を無視した押しつけ教育と単に放っておくと言うだけの放任教育が混ざった物が結構多い。
本当の個性尊重教育とは、子供をちゃんと1人の人間としてとらえ子供の意見に耳を傾け間違っていることはきちんと指摘/説明するという物である。

 押さえつけ教育(子供の意見など聞きもしないで大人の価値観を押しつけ行動を矯正する方法)では動物的に善悪の判断は付くようになる(いけないことをすると怒られるからやらないと言うレベル)が、自分で考えることが出来ない人間になってしまう。
また、怒られない状況であれば悪いことでも平気でやってしまう。
例えば、誰も見ていなければその辺にゴミを捨てても抵抗を感じないとか、犯罪は捕まるからやらないと言う考え方を持つようになる。
実際、そう言った教育がメインであった時代に育った人(現在40代以降と言ったところか)にはそう言う人間が多いように見受けられる。

 次に放任教育(言葉の通りなにも言わないで子供の好きにさせる)であるが、これが一番やっかいで自分はなにをしても許されると思ってしまう。
まあ、完璧な放任教育をする(される)事は無いであろうから、ある程度善悪の判断は付くであろうが基本的には善悪の判断ができないという傾向が強くなる。
躾をされていない野良犬レベルと言うところか。
最近の親は(意識的/無意識的に)こういった教育姿勢の場合が多く、昨今の凶悪少年犯罪を引き起こしているとも言えるだろう。
放任教育はそうなる原因として子供への無関心という面を持つ場合も少なくないので、さらにやっかいである。

 で、現在一番多いのは上記の2つを混ぜ合わせた物である。
つまり、基本的には放任教育(当事者は個性の尊重だと思っている場合が多いが)で部分的に押しつけ教育を行うのである。
割合の差こそあれ、最近の学校教育や親の教育はこうなっている場合がかなり多いだろう。
この教育だと、子供は「怒られなければなにをやっても良い」と思うようになり、それは「捕まらなければ人を殺したって良い」と言うように発展する危険が充分ある。
また、怒るときは押しつけ教育であるから、単に「ダメだ」などといって禁止したり無理矢理やらせたりするだけで、それがなぜいけない(やらねばならない)ことなのかを教えないため子供はその本質が理解できず応用が利かない。(モラルというか自分自身のポリシーのような物がが構築されない)

 それではどうすれば良いかだが、子供の個性を尊重しつつ強制するところは強制するのである。
ただし、強制するにもきちんとその理由を説明してあげることが大事である。
もちろん、1才程度の幼児にくどくどと説明するのは無駄であり逆効果であるが、それでも簡単に理由を説明することは大事である。
そうする事によって、説教(説明)される事になれるし大人が考える以上に理解できている場合もある。
なぜいけないのか/せねばならないのかを子供が理解することはモラル/ポリシーの構築に繋がり、個性を尊重する事はその子の良いところを伸ばし他人の多様性を認める事に繋がる。

 まとめとして、河原でキャンプをした後のゴミをどうするかというケース、またそのゴミをゴミ箱に捨てたのに文句を言われた場合を例にとってもう一度それぞれの教育方法による特徴を説明する。
キャンプのゴミをどうするかゴミ箱に捨てたのに文句を言われたらどうするか
押しつけ教育 誰も見ていなければそのまま置いていく
誰か見ていれば渋々持って帰るか誰も見ていないところで捨てる
理不尽だと思いながらも相手が自分より強そう(腕力だけでなく立場なども含めて)だとそれに従う
弱そうな相手なら意見/忠告など聞くことなく捨てていく
放任教育 誰が見ていてもそこに捨てていく
注意されても無視するか注意した人間を攻撃(物理的にだけでなく言葉による攻撃なども含む)する
無視するか注意した人間を攻撃する。
放任+押しつけ教育 上記2例のどちらか
または、注意されるとその場では言うことを聞くふりをして注意をした人間が追いつけないところに捨てて逃げる
上記2例のどちらか。
個性尊重教育 誰にも注意されなくてもそこにみんながゴミを捨てたらどうなるかを考え自発的に持って帰る なぜそのゴミ箱に捨ててはいけないのか質問し理屈の通った答えを得ればそれに従うが理屈が通らない場合は無視するなりしかるべき機関等に連絡する


自分自身で考えさせる教育

 躾教育に於いては個性尊重教育で書いたこととほとんど同じである。
つまり、禁止/強制すべき時はきちんと理由を説明し納得させると言うことである。
ただ、ここではその1歩先を実践する。
説明した後でその考え方を本人に再考させるのである。
結論までは言わずに「でどうするのがよいと思う?」と本人に結論を出させるのである。
期待していたような結論が出ないようならなぜそう考えたのかを聞き間違っている部分があれば指摘する。
期待していた結論が出なくてもその考察過程に間違いがないようならそう言う考え方もあると認めるべきであろう。
そうすることは応用性を身につけさせ、広い範囲に応用できる行動の指針(モラル/ポリシー)となりうる。
まあ、子供の出した結論を否定できない場合でも自分の考える結論を説明しそう言う考え方もあると教えるべきであろうが、子供の出した結論だからと軽視してはいけない。
自分自身が反論できないのなら子供の答えであろうとそれは正しい可能性が十分にある。
ただし、単なる屁理屈とか論理性に欠ける考察過程にはきちんと反論すべきであり、それが出来るだけの能力も必要になってくるのは言うまでもない。

 知識教育に於いても同じ様なもので、丸暗記させるように結論だけをひたすら教えるのではなくその背景や原理を説明し自分なりに結論を考えさせることが必要である。
歴史上の出来事や漢字などのように丸暗記させるしかない物もあるが、数学や化学の公式などはこういった手法をとれるだろう。
歴史の授業でもただひたすら史実を暗記させるのではなく、その史実の評価などをメインにして行くべきだろう。
そうすることにより、知識面でも応用性を養うことが出来るし他人と議論すると言うことに抵抗が無くなり相手の言い分を尊重する姿勢も養われる。
こういった部分は民主主義の基本であり、かなり重要な部分のはずであるが悲しいかな現在の日本ではこういうことが出来る人間がけして多いとは言えない。


自主的問題解決の実践

 これは学校に於いては生徒会活動の強化ととらえていただいて構わない。
現状の生徒会活動はあくまで教師の許容範囲での活動であり、教師の示す道筋をなぞるだけという状態である。
言うなれば教師達の小間使いである。
これでは、子供達の不満などは解決するわけはなく、生徒会活動などに積極的に参加しようと思う生徒が出てくるわけもない。
その影響はおそらくかなり深刻で、大人になってからも政治活動には参加しない/選挙での1票なんて何の影響力もない/結局はどこかの偉い人の思い通りにしかならないんだからといった消極的政治姿勢を生みだしているように思う。

 そこで、生徒達の問題は生徒達で解決させようというのがこの考えである。
もちろん、危険が及んだり法律に抵触したりするような事にはストップを掛ける必要があるし、進むべきではない方向に進み始めた場合には警告をすることは必要である。
そういった防衛策を整えた上で、教師は極力介入せずに生徒達だけで思うように運営させ、その決定事項も可能な限り認めていくのである。
そうすれば、(余計な知識の付いていない子供達なら)自然と民主的な生徒会運営に積極的に参加していくようになると思う。
学校でそう言う「民主主義の原理」を実感した子供達は大人になっても国政で同じような積極性を持つだろう。
そうすれば、政治家は淘汰され日本の政治も良くなってくるはずである。(この辺については“政治改革”のページで詳しく説明している)


実現手段

 上記の方策は学校教育に対する方策と親の家庭内教育に対する方策が含まれる。
しかし、親に対する教育は学校の改革が進む課程で教師による家庭指導や地方自治体による幼児教育指導、地方自治体/病院共同での産前・産後教育と言った物で対処していくしかないと思う。
と言うことで、やはりメインとなるのは学校教育(義務教育)の改革であって、その過程で自治体/家庭などへの改革も実践できるだろう。

 学校教育を改革しようと言う場合、生徒や保護者・現場教師の声を高めていって改革するボトムアップ手法と、まず政治的に方針を定めそれをブレイクダウンしていくトップダウン手法の2つの方法が考えられる。
ボトムアップは実現すればすそ野の意見から改革が実践されるので効果が高い。
しかし、その反面裾野レベルでかなりの盛り上がりが必要であり、現在の日本ではなかなかそこまでの運動は実現しないだろう。
一方、トップダウンは政治が動いてしまえば簡単に改革は実行できるが、ブレイクダウンの過程で当初の目的とはかけ離れた形だけの物になってしまう可能性が否めない。
それに政治自体を動かすためには(そう言った考えでかつ影響力の大きい政治家が上手く現れたりしない限り)結局国民レベルでの要求の高まりが必要である。

 結局どうするのが一番良いのかは私にも解らない。
敢えて一番可能性が高いところを考えるなら草の根でそう言った運動を展開しつつ、政治家への提言なども行って行き両面からの実現を模索すると言うところだろうか。
ただ、ここで提言したような教育改革は昨今問題になってきている学級崩壊などを防止するためにも有効である(生徒の意志を尊重する教育方針で学級崩壊を乗り切ったケース、及び押しつけ/締め付けの強化で悪化を招いたケースが日教組のミーティングでいくつか報告されている)と思うので、試験的にでも実践してくれる場を得られれば一気に運動を展開できる可能性は充分あると思う。


 

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