HeavyBommer

勝手に続編Part1
続・風の谷のナウシカ−夜明けの鳥−

目次

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  1. プロローグ

     「大統領閣下。ご報告です。中央アジアの拠点が何者かによって破壊されたようです」
     鉛色の空。
    何人たりとも寄せ付けないような激しい吹雪が大地を白く覆う。
    その大地の更に下。地下深くにある巨大な空洞の中で紺色の軍服の胸にいくつもの勲章を携えた長身の男が片膝を付いてなにやら話している。
    「はい、閣下。その通りです。まだ確認はとれておりません。ですが、なにぶん地球の裏側のことですし、彼の地では腐海の侵食をくい止めるような技術力もありません。おそらく放っておいても問題になるようなことは無いかと…」
    男が言葉を発する先には壁しかない。ただ光の反射すらないような真っ黒い壁がそこにあるだけである。
     しかし、男は言葉を続ける。
    「現在、太平洋経路ならば赴くことも不可能ではありませんが、西部戦線は膠着状態ですし、南東部戦線も思うようには運んでおりません。
    我が軍には残された兵力もけして多くありません。この状態で貴重な戦力を分散させるのは…」
    「シャラップ!」まるでフルボリュームの拡声器で叫んだような大音声と共に、男の眼前にあった黒い壁が突然割けて巨大な口が現れる。
    「私は相談しているのではないのだよ、フィリップ=マグワイヤー少将。これは命令だ」
    “口”は少し声のトーンを落として言葉を続ける。
    「…とは言っても、まるっきり納得も行かないままでは作戦にも支障が出るだろうから一応私の考えは伝えておこうか。
    良いかね?我が合衆国軍はこのままでは人手不足で何も出来ない。地球の裏側の僻地であってもそれなりの人口があるのなら、味方に付けることで戦況を打開できると思わないか?」
    「…はい、仰るとおりです閣下」
    「…不満そうだな。疲れが溜まっているんじゃないかね?フィリップ。
    君には今まで色々と働いて貰ったがそろそろ引退するかね?貴重な指揮官を遊ばせておくのは本望ではないが、君が疲れたのなら…」
    「滅相もございません!不満など微塵も…まだまだ我が合衆国のために尽力させていただきとうございます」男は蛇ににらまれた蛙のように、その長身が縮んだかと思うほど小さく跪くと、震えながら後ずさりした。
    「そうか。ではこれで決まりだなフィリップ。私はまた一眠りさせて貰うよ…」
     巨大な口と化していた壁はまた元通り漆黒の壁に戻り、辺りは何事もなかったように静寂に包まれる。
    男は額をびっしょりと濡らした汗をハンカチで拭うと、震える足を押さえながら何とか立ち上がって歩き出した。
    「クソッ!」漆黒の壁を背にしてしばらく歩くと、小さく悪態を付いて男はエレベータの中へと消えていった。

  2. 予感

     「ヒュー…ドン!」
    雲を真っ赤に染める夕焼けを背景に花火の煙がたなびく。
    その煙を下に辿っていくと、石造りの大きな城がそびえ立ち城壁に囲まれた中庭や開け放たれた城門の周辺にはざわめきと共に多くの群衆が群がっている。
    やがて、急に群衆から歓喜の声が広がり、中庭に面した城のバルコニーに一人の青年が姿を見せた。
    彼は身振りで群衆を沈めると耳が痛くなるほどの静寂に向かって澄みきった声で語り始めた。
    「我が愛する土鬼の民よ。今日は私の成人を祝ってくれてありがとう」
    再び沸き上がる歓声をもう一度沈めると彼は続けた。
    「この6年間、皆は本当に頑張ってくれた。慣れない腐海の畔での生活、住み慣れた地を捨てての新天地への移住。そんな中で貴重な食料や労働力を私に貸してくれた。
    その努力が実ってこのような立派な城も完成し、土鬼は再び安定した営みを取り戻しつつある。そこで、この場を借りて私は一つ皆に提案をしたい」
    群集が耳を傾ける中、しばしの沈黙。
    「そろそろ皆に先導者は要らないだろう。
    皆も知っているように、我が友トルメキアは我々に先んじて民の道は民で定めるという政(まつりごと)を行っている。かつては敵であったが今は今は見習うべき先達だ。我が国もこれに見習おうと私は思う。
    ただ、そうは言っても急にでは皆もどうして良い物か解らないと思う。そこで我が国も当面はトルメキアと同じように−もちろん皆の了解が得られればだが−私が引き続き代王として見守りながらということにしたいと思っている。どうだろうか?」
    「オー!」
    群衆から沸き上がる歓声に頷きながら彼は両手を空に掲げるとより大きな声で続けた。
    「では、ここに土鬼共和国の成立を宣言する!」
    「ワー!」
    「明朝、各部族の長老を集めて細かいことを決めていきたいと思う。今宵は私の成人の祝いではなく土鬼共和国建国の祭りだ。皆は自分の部族の長老を囲んで充分語って欲しい。では、良い夜を過ごそうぞ!」
    歓声に手を振って答えながら青年は城の中へと姿を消す。
     城の中は既に暗く、ランプの灯る回廊で数名の従者や大臣達に拍手で迎えられながら青年はバルコニーから続く階段を下りてくると、その中の一人に向かって話しかけた。
    「どうだった?ナウシカ。あれで良かったかな?」
    「上出来よチクク。立派だったわ」
    「ありがとう」
    少し照れながらそう言うと、今度は中年の男性に向かって口を開く。
    「チヤルカ、クシャナ達はもう着いたか?」
    一同は歩き出しながら話を続ける。
    「はい、先ほど。既に下の大広間で各国の来賓の方々と一緒におもてなしを」
    「大広間か。私は民と共に中庭に出たいのだがな」
    「さすがに他国の要人を民の中にはお出しできませんよ。未だトルメキアを恨むものだって少なくはないのです。酒が入ったらさすがに…」
    「ああ、わかってるって。まあ明日の話をしたら私だけ外に出よう」
    「いや、陛下だってあまりお出にならない方が」
    「まったく、チヤルカは真面目すぎるなー」
    「そ、そう言うわけでは…」
    「陛下、あまりチヤルカ殿をからかわれては可哀想ですぞ」
    一同は笑いながら階段にさしかかるが、チククはふとナウシカの方を向いて立ち止まる。
    「どうなされました?」
    「いや、ちょっとナウシカと2人で話がしたい。皆は先に大広間に行っていてくれ」
    「…そうですか。ではお早くお願いしますよ」
     お供の足音が遠ざかるのを待って、ナウシカが口を開く。
    「やっぱりチククに隠し事は出来ないわね」
    「もう行ってしまうのか?」
    「ええ」
    「そうか。…ナウシカのことだからもう決めてしまったんだとは思うけど、もうちょっと私に力を貸してはくれないか?私にはまだナウシカの力が必要だ」
    「いいえ。私に出来ることはもう何もないわ。チククは立派に育ったもの。
    私には私のやるべきことがあるの。そろそろその仕事に取りかからないと」
    少しためらってからチククは口を開く。 「…墓所を破壊した責任か?」
    ちょっとハッとしたような表情でチククを見ると再び苦笑しながら
    「やっぱり隠し事は出来ないわね。セルムと2人だけの秘密にしておくつもりだったんだけど…」
    「いや、詳しいことは解らないよ。ミラルパみたいに心が読めるわけではないし、読めたとしてもナウシカの心を勝手にのぞき見るようなことはしたくないから。…ただ、ナウシカが何か大きな責任を感じていることは解るんだ」
    「そう‥それなら良かった。私は人類に対する大きな責任を背負っているの。もしかしたら私は皆が言うような“青き衣の人”なんかじゃなくって悪魔なのかもしれない…でも私は自分の信じた道を歩んだ。だから…真実を突き止める責任があるの」
    「そうか。でも、ナウシカは悪魔なんかじゃないよ。私にとっても土鬼の民にとっても、いや全世界の人間にとって“青き衣の人”であり“使徒”だよ…あ、でもプレッシャーを掛ける訳じゃないよ。もう私たちはナウシカによって充分救われているんだ。ナウシカはもう自分の幸せのために好きなように生きて良いと思う」
    「ありがとう。でも、やっぱり私は責任を感じてしまう。結局みんなの為って言う訳じゃなくて、自分自身の為なのかもしれない」
    「そうか…ナウシカが自分のためだというのならもう止めはしないよ」 明らかに落ち込んだ表情でチククは言った。 目頭が熱くなるが必死にこらえる。 「でも、今日くらいはゆっくりしていってくれよな。私の成人の祝いでもあるんだから」
    溢れそうになる涙を抑えて、チククは悪戯っぽい笑顔でナウシカを見つめる。
    ナウシカも同じような笑顔で答える。
    「ええ、もちろん。可愛いチククのためですものね」
    「ハハハハ…」
    「じゃあ、そろそろ行こうか。チヤルカが頭から湯気を出しているかもしれないよ」
    「ええ。あ、でも私ちょっとお料理の方を手伝ってくるわ。先に行ってて。
    大丈夫、このままいなくなったりしないから」
    パチッとウィンクをすると、ナウシカは大広間に続く階段とは違う階段を駆け下りていく。
    チククはその後ろ姿を笑顔で見送るが、姿が見えなくなると溜め息を大きく一つ付いて階段を下り始めた。
    暗い階段に自分一人の足音が響き、再び目頭が熱くなる。
    「…やっぱり鳥は大空を駆けてこそ…か」

     城の主厨房。
    チククの方針もあり、普段は実に素朴な料理しか作らないここの厨房も今日は違っていた。
    色とりどりの果物やら豪勢な肉料理やらとご馳走が次々と皿に盛られては忙しく動き回る人々によって運び出されていく。
    「あ、ナウシカ様。どうしたんです?こんな所に」
    「ご苦労様。材料の方は大丈夫?」
    「ええ、充分足りますよ。でも普段こんなご馳走は作り慣れないもんだから手こずってね。ようやく慣れてきたって所ですよ」
    「私も何か手伝うわ。このお料理は?」
    「ちょうど完成したところですよ。船着き場に残っている兵隊さん達に持って行く分です。でも大丈夫ですよ。私たちだけでちゃんとやりますから。ナウシカ様はチクク様の所に居てあげて下さいな」
    「チククはもう一人で大丈夫よ。もう子供じゃないんだから。じゃあ私も運ぶの手伝うから」
    「そうですか。じゃあお願いします。あ、おまえ達、ナウシカ様とこれを船着き場まで運んでおくれ」
    ナウシカは手伝いの娘達と大きなお盆を持ち上げて歩き出した。
    ナウシカはチククと別れてから何か胸の高鳴りを感じていた。
    「(なんだろう…なんだか胸がドキドキする。こんな感じは久しぶりだわ。何か良くないことが起こらなければいいけど…)」

     大広間ではトルメキア使節団を初めとする各国/各部族の代表と土鬼首脳陣の会談が終わろうとしていた。
    「…と言うことです。皆様はこの後、宴を存分に楽しんで下さい。では料理と酒を運ばせますので」
    チククがこういうと料理と酒が運ばれてきて、着席していた皆も銘々に談笑しながら席を立ち始めた。
    クシャナはグラスを取ると護衛兵のことも気にせずにツカツカと1段低くなっているバルコニーに出た。護衛の兵はあわてて後を追う。
    そこからは船着き場と中庭が一望でき、にぎやかな中庭に比較して月明かりに照らされる浮砲台やケッチなどがひどく寂しく感じられた。
    「フー…」
    バルコニーの手すりにもたれかかるとクシャナは風を受けながら溜め息を付いてグラスを傾ける。
    「おや、殿下。こんなところで黄昏てたんですかい」
    今まで土鬼の大臣達と話していたクロトワもグラスを片手にバルコニーに出てきた。
    クロトワは護衛の兵士に手で「シッシッ」と合図をする。
    「参謀長殿、しかし…」
    「俺がお守りするから大丈夫だって。いちいち命令させるなよ」
    そう悪態を付くと一人で外を見ているクシャナの横に立った。
    「やっぱり政治的なおつきあいは疲れますか?」
    「…まあな。久しぶりにナウシカとゆっくり話でも出きるかと思って来たのだが。
    こんなことくらいなら議会の連中だけに任せておけば良かった」
    「しかし、土鬼の共和国化に立ち会うんですから。代王としては充分収穫のある内容だったんじゃないですか?」
    「それくらいのことは議員達だけで充分こなせるだろう。そうでなければ困るしな。私はこのまま政治からは身を引いていく立場なんだから」
    「そうは仰ってもねー。まだまだトルメキアは殿下無しでは成り立ちませんよ」
    クロトワもクシャナをまねて手すりにもたれかかって外を見る。
    するとちょうど船着き場に料理が運ばれてくるところだった。
    「お、当直の兵にも料理を運んでくれているようですねー。関心関心。
    おや?殿下、あの料理を運んでいる女の一番前。ナウシカじゃないですかい?」
    「…そうか?」
    「一人だけ髪の色が違うから土鬼人じゃないみたいだし。あ、殿下どこ行くんです!」
    クロトワがクシャナの方を向くとクシャナは既にバルコニーから城壁へと続く螺旋階段を下り始めていた。
    「まったく…おい!衛兵!殿下はちょっと当直兵の様子を見に行ってくると伝えておけ!」
    「へ?あ、ちょっと、参謀長殿〜!」
    バルコニーと大広間を結ぶ出入り口の所に立っていた護衛兵の間の抜けた声を聞きながらクロトワもクシャナの後を追う。
    「もうじき三十路(みそじ)だってのに、お転婆はまったく変わらないねぇ。こりゃ殿下の衛兵は給料上げてやらないと可哀想だな…」
    ブツブツと独り言を呟きながら城壁の上まで降りてきたところでようやくクシャナに追いつく。
    「殿下ぁ〜。ハァハァ。戦場じゃないんですから。少しは行動を慎んでくださいよぉ」
    「なんだクロトワ。これくらいでもう息が上がっているのか?参謀長とはいえ軍人なのだからもう少し体を鍛えておかないとな」
    そう言いながらもクシャナは小走りから早歩き程度にスピードを緩めた。
    「いえいくら軍人でも30過ぎれば体力も落ちますって」
    雑談をしながら2人は城壁から船着き場へ降りる階段を下り始めた。
    ちょうどその時空から航空機の爆音が聞こえてきた。
    「ん?あれは…風の谷のガンシップみたいですね。ミト殿ですかな?
    しかしあのご老体で夜間着陸はちと危険じゃないですかね…」
    そう言っているうちに城壁の松明(たいまつ)の灯りでバージを曳航しながら旋回するガンシップがくっきりと見えてくる。
    予想に反してガンシップは既に多数の船が駐機されているため狭くなった滑走路を巧みに捕らえて着陸した。
    「ほお、見事な着陸だ。あれはミト殿じゃなさそうですね」
    2人が階段を下りきるとちょうどガンシップが目の前まで滑走してきて停止した。
    クロトワはガンシップに向かって駆け出す。
    「おやおや、誰かと思ったらペジテ公国のアスベル国王陛下でしたか。いやさすがお見事な腕前で」
    「国王陛下はやめてくださいよ。クロトワさん。普段通り“アスベル”で良いですよ」
    アスベルはコックピットから降りながら言った。
    「へへ。では遠慮なく。で、アスベル。なんでお前さんが風の谷のガンシップに?ミト殿は…あ、後席でしたか」
    「いや、ここに来る途中でブリックがエンコしちゃって。荷物が多かったんで単発じゃあ飛べなくてね。とりあえず部品がないと修理も出来ないんでちょうど通りかかったミトさんに拾って貰ったんです。
    あ、そう言えばチククから何か重要な話があると使者から聞いたんですが、間に合いませんでした?」
    「さっき終わったよ。いま上の大広間に居るから直接本人から聞くのが良いだろう。ね、殿下」
    「ん?…ああ」
    ちょうど追いついてきたクシャナに同意を求めるがクシャナはキョロキョロしながらの生返事。
    「あ、そう言えばナウシカ探しに来たんでしたね」
    「え?ナウシカは船着き場に居るんですか?」
    「ああ、さっき上から見かけ…」
    「ホギャア!ホギャア!」
    クロトワの言葉を遮るようにバージの方から赤ん坊の鳴き声が響く。
    「これ!アスベル!王子を放っておいたらケチャ殿に怒られるぞ!」
    後席から降りるのに難儀していたミトは何とか地面に飛び降りると笑いながらアスベルに言った。
    「いっけねぇ!」
    バージの方に走って行くアスベル。
    バージからは赤ん坊を抱えたケチャが侍女に支えられて降りてきた。
    「ゴメンゴメン!大丈夫か?」
    「もうッ!あなたは自分の子供より世間話が大事なんですかッ!」
    「いやそう言う訳じゃあ…ほうらベロベロバァー!」
    「ハハハ。ペジテの王様もカミサンには形無しですな。あんなの見ているとやっぱり結婚は敬遠したくなっちゃいますな〜」
    「スマン、スマン。アスベルを拾っていて遅くなってしもうた」
    頭をかきながらミトが歩み寄ってくる。
    「ミト殿ご苦労様です。他の議員の方々は大広間です。とりあえず役人が議事録を取っていると思うので風の谷信託統治領代表議員としては見ておいたほうが良いと思いますよ」
    「解った。ところでどんな話だったんじゃ?」
    「一言で言えば土鬼も共和制に移行するってことです」
    「おお!そりゃあすごいことだな!急いで行かなけりゃ」
    ミトは階段の方に走り出そうとしたが、急に振り向いた。
    「おっと!そう言えばさっき姫様がどうとか言っておらんかったか?」
    「ああ、さっき上からナウシカらしき人影を見つけてここまで降りてきたんですよ。どこ行ったのかなぁ」
    「そうか。姫様とも話すことが山ほど有るんじゃが…まあ後で良いか。じゃあわしは大広間にとりあえず行って来るわい」
    そう言うとミトは階段の方に向かって走り出した。
    「あ、階段お気をつけて!もう歳なんですから… で、ナウシカ、ナウシカっと。
    …あれ、殿下またどっか行っちまったよ」
     クシャナは近くにあった自軍のケッチまで来たが乗降口を警備しているはずの当直兵の姿が見えないので顔だけ機内に突っ込んで叫んだ。
    「当直兵!」
    機内のコックピット寄りにたむろして酒を飲んでいた当直兵達は慌てて立ち上がる。
    「あッ殿下ッ!す、すいません!城内だったので気を抜いてしまって…」
    口をもぐもぐしながら、慌てて乗降口の警備に戻ろうとする兵士を身振りで制止してクシャナは尋ねた。
    「食事を運んできた者達の中に土鬼人でないものがいなかったか?」
    「へ?ああ、そう言えばいましたね」
    「その者はどこに行ったか解らぬか?」
    「なんか他の女達と分かれて一人であちらの格納庫の方に行きましたが…」
    「そうかご苦労。今日は特別に歩哨には立たなくても良い。ゆっくりくつろげ」
    「良いんですか?ありがとうございます!」
    兵士の声を背に受けながらクシャナは格納庫の方向に走って行く。
    兵士が振り返ってもう一度酒の席に着こうとすると背後から怒鳴り声が聞こえた。
    「あ、お前ら!さぼってんじゃねえぞ!」
    クシャナを探して走ってきたクロトワだ。
    「いえ、あの…今クシャナ殿下が今日は歩哨は良いと…」
    「お?殿下が来たのか?」
    「はい」
    「で、どっちに行った?」
    「あちらの格納庫の方に…」
    「解った!じゃあ、さぼってて良いぞ!」
    「あ、はい…なんなんだ?」

     ナウシカは船着き場の南端で一人南の空を眺めていた。
    右手には浮砲台を格納できる巨大な格納庫がそびえ立っており、左手には滑走路へと続く誘導路。そして目の前には月明かりに光る雲と星々、緩やかに湾曲した地平線も見える。心地よい風がナウシカの髪や華やかな土鬼の礼服の裾、船着き場の端を示す松明の炎などを穏やかになびかせ、後ろからは中庭の賑やかな声と音楽が小さく聞こえてくる。
    何とも風情のある夜だった。
    しかし、ナウシカの表情は暗い。
    先ほどからの胸の高鳴り。ナウシカは理由を色々と考えていた。
    「(チククや土鬼の人々との別れが悲しいの?いやちがうわ。そう言った物ではない…それにチククが成人したら土鬼を出ようと決めたのは今日というわけではないもの。別れが悲しいだけならもっと前から感じても良さそうなものだわ)」
    高鳴りはどんどん高まっている。
    「(この感覚は…やはり6年前と同じ…こんなに平和なのに…なぜ?何が起こるというの?)」
    「ナウシカ探したぞ!こんなところで何をやっているんだ」
    突然の声にハッとして振り向くとクシャナが近づいてきていた。
    「あ、クシャナさん」
    「久しぶりだな。すっかりナウシカも大人になったものだ。見違えたぞ」
    久しぶりに再開するナウシカは以前の少女っぽさが抜けてすっかり大人の女性になっていた。
    しかし、容姿は変わっていても独特の雰囲気−というかオーラのようなもの−は変わっていない。
    「(やはりこの娘に会うと心が落ち着くな…まるで母に抱かれたようだ…ナウシカの方が十近くも年下だというのに…可笑しいな。)」
    そんなことを考えているとクシャナは自然と笑みがこぼれているのに気付いた。
    「(こんなに自然と笑みがこぼれるなどずいぶん久しぶりだ)」
    「もう5年も逢っていませんもの。クシャナさんも今日は見違えました」
    「ん?ああ、この服か。私は甲冑の方が好きなくらいだがな。ドレスというのは動きずらいし窮屈だし…どうも苦手だ」
    「フフ。私も飛行服の方が好き。あ、でもどうしてこんな所に?ご来賓の方々は大広間にいらしたはずじゃあ…」
    「上からそなたが見えたのでな。そなたには私に話したいことなど無いかもしれないが、私には話したいことが山ほど有る。
    ナウシカこそこんなところでどうしたのだ?チククの後見人として大広間にいるべきではないのか?」
    「いえ、チククは立派に成人しました。もう後見人は必要ありません。それに…」
    「それに?」
    「ううん。なんでも…ちょっと風に当たりたくて」
    「…そうか」
    「殿下ぁ〜!」
    クロトワの声が聞こえてくる。
    「あ!いたいた。もう、少しは落ち着いてくださいよ。これじゃあ護衛なんかできたもんじゃないですって」
    「お前は私の護衛じゃあないだろう。自分で衛兵を追い払っておいて文句を言うな」
    「まあそうですけど…お!ナウシカ!久しぶりだな!」
    「お久しぶりです、クロトワさん」
    「じゃあ殿下。ナウシカをつれて大広間にお戻り下さい。こんな所じゃあまともに護衛できませんよ。土鬼にはまだまだトルメキアを恨むものは結構いるんですから」
    「いや、2人きりで話したいのだ。良いか?ナウシカ」
    「ええ、構いませんが…」
    その時、格納庫の扉がガラガラと音を立てて開き始めた。
    中では連絡艇の回りで飛行準備を進める整備士が忙しく動き回っている。
    「ん?こんな時間に船を出すのか?何かあったのか?」
    と言うクシャナの言葉が終わる前にナウシカは連絡艇に向かって走り出した。
    「ナウシカ!」
    クシャナも続く。
    「あっ!もう。やんなっちゃうね」
    クロトワもそうぼやきながら続く。
    3人が連絡艇に辿り着くと数名の兵士と共にチヤルカが格納庫の奥から現れた。
    「チヤルカさん!何かあったんですか!」
    ナウシカは、はやる気持ちを抑えきれずにまだ遠くにいるチヤルカに向かって大きな声で訪ねた。
    するとチヤルカは慌てて指を口に当てて制止した。
    「ナウシカ!声が大きい!」
    ようやくチヤルカは3人の元まで辿り着き話の続きを始める。
    「ナウシカ、それにクシャナ殿にクロトワ殿まで…なぜこんな所に?」
    「そんなことより、何かあったの?」
    「コンロ山脈の見張りから連絡があったのだ」
    「コンロ山脈?土鬼はそんなところに見張りをおいているのか?」
    クシャナが聞く。
    「ええ。土王の時代より」
    「なんのために?あんな所から攻めてくる敵などいないでしょう?」
    クロトワも不思議そうに聞いたがその答えを得る前に整備士が飛行準備完了を知らせる。
    「失礼。今は詳しい話をしている時間は無いのでまた後ほど」
    そう言ってチヤルカは兵士と共に連絡艇に乗り込む。
    「私も行くわ!」
    そう言うとナウシカはチヤルカの後を追って連絡艇に乗り込んだ。
    「…クロトワ!我々も行くぞ!」
    「へ?!ちょっと待ってくださいよ殿下!さすがにまずいですって〜!」
    クシャナはクロトワの制止を振り切って連絡艇に乗り込む。
    クロトワも仕方なく後を追う。
    「クシャナ殿!トルメキアの代王を危険な目に遭わせるわけには行きません!お降り願います!」
    チヤルカは驚いて2人を降ろそうとする。
    「では、我が軍の船で後を追うが良いか!?」
    「それは困ります!トルメキアの船が飛び立つと要らぬ騒ぎになってしまいます」
    「ならばこのまま載せて欲しい。ここで問答をしている暇はないのではないか?」
    「…ええい!仕方ない!良し出せ!」
    「ヒュルルルルル」
    連絡艇は格納庫から出ると滑走路まで行かずに誘導路をそのまま垂直上昇して静かに城を離れていった。

  3. 遭遇

     月明かりが窓から差し込む連絡艇の中でナウシカはぼんやりとその月を眺めていた。そこには火の七日間の前に作られたという建造物らしきものの残骸が見える。
    「(火の七日間…また戦争になるのかしら…人間は愚かな戦いばかり繰り返すのが運命なの?)」
    ナウシカはなんだか疲れたような気持ちになっていた。自分一人が幾ら頑張っても結局は何も変わらないんじゃないか?そう考えるともうどうでも良いというような気分になる。
    背後ではクシャナとクロトワがコンロ山脈の見張りについて説明を受けていた。
    「シュワの南側と言えば膿の盆地に世界の端っこみたいなコンロ山脈があるだけですよね?あんな所に見張りをおいてもなんの役にもたたないんじゃないんですかい?」
    「…それに不毛とは言え広大な土地だ。結構な兵力が必要だろう」
    「はい、その通りです。神聖皇帝も教団も無くなった今となっては詳しい理由は解らないのですが、何でも土王の時代からずっと慣例のようになっているとのことです」
    「その言いようだと墓所がらみか…」
    「ええ。私も6年前の戦争の時にミラルパ様に幾度となくこの兵力を前線に回すよう進言しました。しかし…ミラルパ様は頑なにそれを拒まれた。理由をお聞きしても墓所に関係があることしか教えていただけませんでした。
    墓所が消滅し土鬼の再建に尽力するようになっても、どうもあの時のミラルパ様の様子が気にかかり今までそのままにしてきた次第です」
    「そうか。墓所がらみとなると…墓所の命令なのか、墓所の情報に脅威を感じたのかどちらかと言うところか」
    「そう言うことになりますな。まあどちらにしても余り歓迎すべき事態ではなさそうです」
    「そうですな。う〜ん、やっぱり墓所をぶっ壊したのは痛かったのかね。
    イテッ!」
    クロトワの脇腹にクシャナの肘がめり込む。
    クシャナは意味ありげに視線だけをナウシカに向けて見せた。
    「あ…すいません。つい…迂闊でした」
    しかし、当のナウシカはまだぼんやりと窓の外を見たままで話は全く耳に入っていない様子。その様子をみて一同はまた話を始めた。
    「で、現在の状況は?」
    「はい、先ほど見張りから発光信号による連絡を受けました。見たこともない巨大な船が船団を成して山脈を越え北進しているという内容です。発見は日没直後ですが、もう何百年も定期連絡や訓練以外の連絡を行っていませんので、信号の中継に時間がかかりました」
    「巨大な船か…そうなるとこんな連絡艇1隻じゃあやばいんじゃないですかい?」
    「もちろん。ですが、いま城は宴の真っ最中です。城の直衛艦隊を出すとなると、ことが大げさになってしまいます。城に集まった民がパニックに陥ったらそれこそ大変ですので。
    ですから巡回から帰投する途中だった浮砲台1隻を先行させました。城の直衛艦隊には臨戦態勢を指示してあります」
    「まあ、定石通りと言ったところか。で、浮砲台1隻では太刀打ちできないとしたらどうするおつもりか?」
    「雲の下に出れば見張り台に発光信号が送れますので…」
    「それから、城の艦隊を出すと…敵、というか不審船団の速力などは?」
    「発見時点では大分ゆっくりと進んでいたようですので最悪でもシュワに直接危害が加わる前に阻止することは出来るかと」
    「そうだな。あとは相手の実力と目的次第か。チヤルカ殿、他国の作戦に口出しして申し訳なかった」
    「いえ、もし侵略者であるならトルメキアにとっても脅威となりますので当然です」
    そのとき、伝声管から見張りの声が響く。
    「見方の浮砲台らしき船影を発見しました!2時の方向です!」
    「よし!発光信号を送れ。『状況を報告せよ』だ」
    「ハッ!」
    「チカッチカチカ…」
    「応答です…『我、未だ目標を発見できず』」
    「そうか。このまま策敵を続けろと伝えろ。本船は浮砲台の後方に距離をとって追随しろ」
    「了解!」
    ゆっくりと旋回を開始する連絡艇。
    そのとき夜空に突然閃光が煌めく。
    「ガガガガ…ズーン!ズーン!」
    窓の外では浮砲台が射撃を開始している。
    「発光信号です!『我、敵ガンシップと遭遇。交戦中なり』」
    「なに!?見張り!何か見えるか!?」
    「いえ!味方の船しか見えません!」
    ぼんやりとしていたナウシカもこの騒ぎで我に返り外の様子を伺う。
    「どこだ!」
    操舵室内では銘々が様々な方向の窓に張り付いている。
    「ゴーン!」
    突然ものすごい衝撃と共に船が揺れる。
    「どうした!撃たれたか!?」
    「いえ!船体にダメージはありません!衝撃波のようです!」
    「衝撃波だと!?爆発など起きなかったぞ!もう一度被害状況を確認…」
    「あ!あそこ!」
    チヤルカの指示を遮ってナウシカが声を上げる。ナウシカは窓から外を指さしている。
    「ほら!また見えた!2機…いいえ3機いるわ!」
    そこには、月に照らされて明るく光る雲をバックにしたときだけ、かろうじて見える黒い点が3つあった。
    「どこだ!?お!いたいた…速いな…お!宙返りしたぞ!また浮砲台の方に戻る気だ!」
    「ガガガガ…」
    浮砲台が再び射撃を始める。
    その時、突然ナウシカの脳裏に炎を上げる浮砲台の姿が浮かんだ。
    「ダメッ!撃ってはダメ!早く伝えて!」
    「え!?は、はい!」
    通信兵は慌ててが信号を打ち始め、それと同時に3つの黒い点の1つから閃光が走った。
    「お!撃ったぞ!」
    浮砲台は機関を全開にして回避行動を取っている。
    「あの距離なら充分避けられるだろう。馬鹿なヤツだ」
    が、黒い点から延びる光の筋は回避する浮砲台を追うようにして曲がり始める。
    「なに!曲がったぞ!弾が船を追いかけてやがる!」
    「まずい!当たるぞ!」
    「キラッ…ドーン!」
    閃光から一瞬の間をおいて再び衝撃波が連絡艇の機体を揺らす。爆煙と炎を上げてゆっくりと落下し始める浮砲台。
    「アア…」
    顔を覆ってその場に膝から崩れ落ちるナウシカ。
    「なんということだ…」
    チヤルカを始め、土鬼の兵士はみな顔面蒼白で呆然と轟沈する浮砲台を眺めている。
    「バカ!なにをしている!さっさと雲に入れ!この船もやばいぞ!」
    クロトワは操舵手に向かって怒鳴った。
    「え…あ、ハイ!」
    操舵手は慌てて舵輪を回して左の雲の中に入ろうとする。
    「ガガガガ…」
    しかし、左に旋回しようとする連絡艇を遮るように直ぐ横を一筋の閃光が走る。
    「うわっ!…ダメです左に付かれました!」
    いつの間にか左後方には敵の“ガンシップ”が回り込んでいる。先ほどまでは黒い点にしか見えなかったが今度ははっきりと機体が見えるほどの距離だ。
    クシャナも慌てて右後方を確認する。
    「こっちもダメだ!」
    「挟まれた…」
    「もう1機、前方に入ります!」
    最後の1機は滑り込むように連絡艇の前方に入り込むと翼端灯を付けて翼を左右に振りはじめる。
    「なんだ?」
    「付いてこいと言っているんだわ…従いましょう」
    ナウシカは涙を拭いながらようやく立ち上がった。
    「わかるのかナウシカ?」
    「何となくだけど…」
    「まあ我々の通信が通じるとも思えんしな。下手なことをすればあの世行きだ。ナウシカの勘を信じるしかないだろう」
    「…そうですな。よし、前のガンシップに追従しろ」

     しばらく“ガンシップ”に追従すると、前方に広がる雲海からチカチカとライトを点滅させた船が次々と姿を現してきた。
    「ん?あれは…船みたいですな。雲に隠れていやがったのか」
    「これは…大きい…」
    出現した船の中で一際賑やかな船を見てチヤルカが思わず驚嘆の声を漏らす。浮砲台の3倍はあろうかという巨大な船である。その周囲を浮砲台と同じくらいの大きさの船が何十隻も取り囲み、更に先ほどの“ガンシップ”と同じものが数十機はいる。
    「これじゃあ手も足も出せねえぜ…」
    先導する“ガンシップ”はチカチカと灯りをつける一番大きな艦に降りてゆく。
    「どうやらあの船に降りろってこと見たいですな。これだけ大きけりゃあコルベットでも降ろせそうだぜ」
    やがて“ガンシップ”に続いて連絡艇は静かに甲板へと着艦する。
    「クシャナ殿とクロトワ殿はここにお残り下さい」
    そうチヤルカが言った途端、頭の中に声が響いてきた。
    『武器の類を全て機内に置いて、全員速やかに外に出ろ!中の人数は既にわかっている。命令に従わない場合は即刻機を爆破する。』
    「念話か…」
    連絡艇の前方では先導してきた“ガンシップ”がいつの間にか反転し、機首をこちらに向けていた。
    「チヤルカ殿、どうやら従うしかなさそうです」
    「仕方がない…では降りましょう」
    乗降口を開けるとそこには銃を構えた兵士が十数人と士官らしき兵士が乗降口付近を取り囲んでいた。
    『全員両手を頭の後ろに組め。…では一人ずつゆっくりとこの円の中に立て』
    士官が指し示す所には丸い円盤が置かれている。一瞬躊躇する一同の中、ナウシカはまるで躊躇することなく歩み出る。
    「あ、私が先に…」
    そう言う土鬼兵士に微笑むとナウシカはそのまま円盤の上まで無言で歩いていった。
    円盤の上に立つと緑色の光の輪が足下から頭の方へとゆっくりと移動して行く。
    『よし。そっちに立って待っていろ。手はそのままだ。次!』
    全員が“光の輪の円盤”に立ち終わると一同は艦内へと連行される。
    『この部屋で待て』
    そう言い残すと、士官は銃を構えた警備兵を残して去っていった。
    「…クソッ!完全に囚人扱いかよ!こんな薄暗い部屋に閉じこめやがって!」
    「ナウシカ、どうも警備兵は様子がおかしくないか?」
    チヤルカが小声でナウシカに問いかける。
    「ヒドラのようです。彼らには心が全く感じられません」
    「やはり…あの士官のほうは?」
    「士官の方は…人間だと思います。心は感じました。…でも見た目の若さの割になんて言うか…そうエネルギーみたいなのは余り感じません。もしかしたら神聖皇帝のように肉体交換をしているとか…体だけヒドラになっているのかもしれません」
    そう言いながらナウシカは庭園の主を思いだしていた。
    「(彼のような精巧なヒドラなのかもしれない…いや、もしかしたら…同じ技術?)」
    ナウシカの胸に不安が込み上げる。土王の時代から続く見張りのこと、なぜ今彼らが来襲したのか…
    「(シュワの墓所はこの人達が作ったのでは?)」
    確かにそう考えれば全てのことが一つに繋がる。
    「(だとすれば彼らの目的は…)」
    ナウシカの思考を遮るように今まで薄暗かった照明がパッと明るくなった。
    そして、先ほどの士官がもう一人の士官を伴って入ってくる。トルメキアや土鬼のそれとは大分違うが、服装からしてどうやら司令官らしい。
    『ようこそ我が艦へ。…ヘルメットを付けたままで失礼。これを外すと貴方達と話せなくなるのでね』
    そう言うと彼は兵隊の運んできた椅子に腰を下ろして更に続けた。
    『まずは自己紹介しておこうか。私はアメリカ合衆国軍のフィリップ=マグワイヤー少将。この艦隊の司令官だ。大統領閣下の命により君達の協力を求めるための大使として使わされた』
    「協力!?いきなり船を沈めておいて協力だと!」
    詰め寄ろうとするチヤルカに警備兵が銃口を向けて制止する。
    『…彼らは可哀想なことをした。遺憾に思うよ。しかし、我々は攻撃されたから反撃したまでだ。責められるいわれはない』
    「ではあの衝撃波はなんだったのだ!?どうせお前らが…」
    まだ文句を言いたそうなチヤルカを制止してナウシカが口を開く。
    「用件を聞きましょう」
    「ナウシカ!こんな奴らと取り引きするつもりか!」
    「落ち着きなされチヤルカ殿。我々は虜囚の身。いま逆らっても無駄だ」
    クシャナに諭されてチヤルカは悔しそうにうつむいた。
    『フム。良い心がけだ。私が大統領閣下からいただいた命令は3つ。
    まず、君達の国の現状を詳しく調査すること。
    それから同盟国として我々への全面的な協力を取り付けること。
    最後に“貯蔵庫”を破壊した者を本国に連行し裁判に掛けることだ』
    フィリップが“貯蔵庫”と言った時、一同の頭の中にはあの真っ黒な“シュワの墓所”のイメージが伝わってきた。
    「(やはり…)」
    ナウシカは思わずうつむいた。別に自分が連行されることが辛いわけではない。彼らがやはり墓所を作った者達だとしたらまた同じことの繰り返しだ。いや、もっと酷くなるかもしれない。
    「(折角墓所の呪縛を逃れて、小さいながらも希望を持って皆が歩き始めたところなのに…)」
    「では、まずは使者を立てて我々の国々の代表者達と…」
    「私が墓所…貴方の言う貯蔵庫を破壊しました」
    クシャナの言葉を遮ってナウシカはフィリップに申し出た。
    「ナウシカ!なにを…」
    予想もしていなかった展開に驚きを隠せないフィリップ。しかし直ぐにその表情はにやけ顔に変わる。
    『…そうか。些か驚いたがそれは好都合だ。探す手間が省けた。しかし嘘をついている訳ではあるまいな?調べればそのうちわかることだ。嘘だとわかればそれなりの対処をせねばならん』
    「嘘などついていません。おとなしく投降します。…ですからこのまま帰ってはくれませんか?」
    『帰れだと?いったいなにを言っているのかね?それでは命令が遂行できないではないか。それに我々に協力した方がお前達にとっても幸せだろう。このままではいずれ腐海に滅ぼされる運命なのだ』
    「やはりダメですか…」
    些細な期待もうち砕かれ、再びうつむくナウシカ。
    「この女を連行しろ!気が変わって逃げられては困るからな」
    「やめろッ!」
    ナウシカを連行しようとする兵士の前にチヤルカが立ちはだかった。その時…
    「ガウン!」
    その場に崩れ落ちるチヤルカ。フィリップの手には煙が立ち上る拳銃が握られていた。
    「アアッ!なんてことを…チヤルカさん!チヤルカさーん…」
    叫び声を残しながら兵隊に両腕を抱えられてナウシカは連れ去られた。
    『では、話の続きを始めようか』

     シュワ城の皇帝執務室ではチククがせわしなく歩き回っていた。
    「衛兵長!まだなにも連絡はないのか!」
    「はい…まだなにも…」
    「いったいどうなっているんだ!」
    チククは苛立っていた。先ほど膿の盆地から轟沈する船影を目撃したという報告があって以来なにも情報がない。落ちたのが味方の船なのか侵入者の船なのかすら解らないのだ。
    「クソッ!もう待てん!艦隊を出すぞ!」
    「お待ち下さい陛下!まだ宴は続いております!いま艦隊を出せば民がパニックになります!」
    「ではどうすればよいのだ!落ちたのが味方にしろ敵にしろ戦闘行為があったと言うことではないのか?!宴などやっている場合ではないだろう!」
    「しかし…」
    「わしが船を出そう」
    ミトが扉を開けて入ってきた。
    「申し訳ないがチククに話があって来てみたら扉が半開きになっておっての。全て聞こえてしもうた。ガンシップなら出してもそれほど目立たないじゃろう。飛行瓶より足は速いしちょっとやそっとで落とされることも無いぞ」
    「ミト。しかしそのご老体では…」
    「私もお供しますよ」
    アスベルも入ってくる。
    「俺が操縦するならチククも安心だろ?」
    「アスベル、王子を放っておいて良いのか?」
    「緊急事態です。ケチャも解ってくれますよ」
    「そうか。ではそう言うことじゃ。行くぞ!アスベル」
    「待ってくれ!私も一緒に行く!」
    「陛下!なにを…」
    「もうこんなところで待っているだけなのはゴメンだ!」
    顔を見合わせるミトとアスベル。
    「チクク…気持ちは分かるがお主はここに残りなされ。もしお主に何かあったらこの後、土鬼の国はどうなるのじゃ?お主は王−まあ共和制になったところで指導者であることには変わらんのじゃ。ジル様もよく言っておられた…長たる者はまず民のことを考えなければならん。
    おお、そう言えばアスベルもそうじゃが…」
    その時突然チククの頭の中にナウシカの声が響いた。
    『…える?チクク…聞こえる?…』
    「待て!念話…ナウシカからだ。遠いから念が弱い…すまないがちょっと静かにしてくれ」
    目を閉じて念話に集中するチクク。
    『ナウシカか?』
    『良かった通じたのね…今から話すことをよく聞いて。時間がないの』
    『解った。話してくれ』
    『来訪者は墓所を作った人たちよ。彼らはこの世界を支配するつもりだわ』
    『なんだって!じゃあ急いで反撃の準備を…』
    『待って!最後まで聞いて。まずは話し合いましょう。私たちの力では到底太刀打ちできない…力の差がありすぎるの』
    『しかしそれでは…』
    『お願い…もう誰も死んで欲しくないの…』
    『…解った。で、どうすれば良い?』
    『この人達をこのまま城に連れて行ったらきっと城にいる皆がパニックになるわ。だからまずは今集まっている指導者たちを墓所跡につれてきて。そこで話し合いをしましょう。私は何とかこの人達をそこに誘導するから』
    『解った。何とかする』
    ゆっくりと目を開けるチクク。
    「どうじゃった?姫様はなんと…」
    「まずは来訪者と話し合いをする。ナウシカが彼らを墓所跡に誘導するから各国の代表をそこに連れてきて欲しいと言うことだ。ミト、ガンシップとバージを出してくれるか?」
    「喜んで。ではわしとアスベルは船の準備をしておるぞ」
    「私は皆を集めよう。衛兵長は日の出を待って民を散開させてくれ。散開したら全艦隊を墓所跡に集結だ。私が許可するまで発砲はしないように言っておくのを忘れるな」

     クシャナは空中空母エンタープライズのブリッジで前方のスクリーンを見ていた。スクリーンには、膿の盆地の北端を成す山々が昇ったばかりの太陽に照らされて、長い影を曳いている姿が映し出されている。
    「もう少し西だ。…よし!」
    腕を後ろ手に縛られていなければまるでクシャナがこの艦隊を率いているようだ。
    クシャナは水先案内人としてブリッジに立たされていた。男達はみな房に入れられている。
    「(さて、どうしたものか…)」
    先ほど念話でナウシカに何とか船を墓所後に誘導しろと言われている。しかし、フィリップの要求は首都における首脳陣との会談だ。
    焼け野原の墓所後に誘導すれば当然彼は不満だろう。
    そうこう考えているうちにスクリーンにはかつての戦闘で墜落したバカガラスの残骸が点々と見えてくる。クシャナにとっては何とも複雑な光景だ。
    「(父ならどうしただろう…)」
    意外にもクシャナは父であるヴ王をよく手本としていた。もちろん愚かな男ではあったが王としての威厳は確かにあった。まあ、手本とは言っても反面教師である場合もままあることだが。
    やがて、スクリーンに立ち上る煙が映ってきた。艦長がなにやら指示してスクリーンには煙の発生源が拡大される。
    「(ほう…便利なものだ。…あれは…風の谷のガンシップか?
    …ここは正攻法で行くしかないか。)」 「あの煙の上っている所に船を降ろして貰いたい」
    そう言うクシャナにフィリップは怪訝そうな表情で聞き返す。
    『なに?ただの荒野ではないか』
    「話していなかったが、我々の世界は1つの国で成り立っているのではない。複数の国が存在している。今、彼処に主だった国々の指導者が集まっているのだ」
    『集まっているだと?なぜだ?連絡などとれないはずだぞ…
    !念話か!貴様ら念話を使えるのか!?』
    フィリップは怒りをあらわにして叫んだ。
    「ああ、その通りだ。しかし、現に指導者達は彼処に終結している。今更街に行っても交渉相手は居ないぞ」
    「ドガッ!」
    フィリップは怒りにまかせてクシャナの顔を殴り飛ばした。そして倒れているクシャナの頭に拳銃を突きつけて激鉄を起こす。
    『この女(アマ)図にのりやがって…その生意気な口が二度と開かないようにしてやる!』
    「閣下お待ち下さい!今人質を殺すのは作戦上得策ではありません」
    副官の制止でフィリップは震える指を何とかトリガから外した。
    『…クソッ!
    次は殺すぞ!良いか!』
    フィリップはそう吐き捨てるように言うと、悔し紛れにクシャナの腹を蹴り上げてから部下に指示を出した。
    「船を降ろせ!直衛機は半径20マイルで輪形警戒!護衛艦は上空待機だ!」

     「…こりゃでかい」
    アスベルが驚嘆の声を漏らす。
    「船の数も多いぞ。姫様が争うなと言うのも頷けるわい」
    チククは苛ついていた。確かにナウシカの言うように勝ち目のない戦いで、また民が命を落とすのは避けたい。しかし、そのまま奴隷のように組み敷かれるのではプライドが収まらない。
    やがて巨大な船は彼らの目の前にゆっくりと着地した。
    「こりゃあ城なみだ…」
    近くで見ると一際大きく見える。
    「人が出てきたぞ!」
    船から下りた人々は少し距離を置いて止まった。
    「まずは捕虜を釈放して貰いたい!話はそれからだ!」
    『まあこの者達には用はない。釈放しよう』
    クシャナとクロトワ、土鬼の兵隊達が歩いてくる。
    「殿下!大丈夫ですか?ああ、殴られたのですね…クロトワ!お主はなにをやっておるのじゃ!」
    「うるさいぞ大臣!そんなことを言っているときではないだろう。
    チクク、すまん。チヤルカ殿が…」
    「解ってる。話はナウシカから念話で全て聞いた。しかし船の中に弱いがチヤルカの意識を感じる。気絶しているが生きてはいるようだ」
    「そうか!それは良かった」
    「それよりも今は交渉だ。皆さん、私にこの世界の代表として交渉させて貰えないだろうか?」
    皆は黙って頷く。
    「ありがとう」
    チククは一同に礼を言うとフィリップに向かって話し始める。
    「捕虜の釈放痛み入る。しかし後2名捕虜が居るはずだ。その者達も釈放して貰いたい」
    『1名は負傷して治療中だ。もう1名は我が軍の施設を破壊した容疑者として逮捕した。負傷者は治療が終わり次第釈放するが、容疑者は我が軍が裁判を行うことになるので釈放は認められない』
    「それは受け入れられない。ナウシカは我々にとって重要な指導者だ。そなた達との交渉にも必要不可欠だ。一時的にでも釈放していただきたい」
    『…イヤだと言ったら?既に我々の軍事力は承知しているだろう。交渉の主導権は我々にあるのだよ』
    「我々が墓所を破壊したことをお忘れか?ここは元々墓所があった場所だ。
    蜂の一刺しくらいにはなろう」
    そう言いながらチククは地面を指さした。フィリップは怪訝そうな表情を浮かべる。
    「…マイク。どう思う?」
    フィリップは念話ではなく声に出して副官に相談した。英語ならチクク達には理解できないからである。
    「はったりの可能性が高いとは思いますが…しかし、何らかの強力な武器を有している可能性も充分考えられます。
    そもそも我々が派遣されたのもそう言った可能性を考えてのことでしょう。先ほどの船程度の武力で貯蔵庫が破壊されるとは思えませんが、例えば核兵器の類なら発掘したものでも使用可能なケースはあるかと」
    「ウム。そうだな。核兵器はやっかいか…
    では要求を呑むか?」
    「はい。あの女が重要な指導者だというのなら、期限付きで釈放するのが良いかと。彼女は物わかりは良いようですのでこちらにとっても好都合です」
    「よし、ではそうしよう。しかし保険が必要だな」
    フィリップはにやりと笑みを浮かべるとブリッジに指示を出す。
    『主砲発射用意!目標、地平線!』
    空母の艦首がなにやら光り始める。
    『要求を呑んでナウシカとやらも期限付きで釈放しよう。ただし…』
    言葉を切って手を挙げるフィリップ。
    「シュバッ!」
    その瞬間、目映い光が放たれたかと思うと、地面には赤熱する直線が地平線まで延び、そこからゆらゆらと煙が立ち上っていた。
    「こ、これは…巨神兵と同じ…」
    『巨神兵を知っているなら話は早い。これは千年前に世界を焼き尽くした巨神兵の火と同じものだ。お前らの国を焼き尽くすくらい造作もないことだな』
    フィリップは、言葉のでない一同を見渡して再び言葉を続ける。
    『期限は1週間だ。それまでに戻らなければ千名殺す。今回は譲歩したがあくまで主導権は我々にあることを忘れるな。良いか?』
    「…解った」
    『では、我々は残る2名を釈放し艦で待機しよう。残る要求への答えを正午までに準備しろ。それと…我々に自ら居城を探させるような手間を掛けさせないでくれよ』
    にやりと笑うとフィリップは取り巻きを引き連れて艦の中に消えていった。

  4. 護送

     シュワ城の船着き場。
    今となってはすっかりフィリップの居城と化し、星条旗がはためく城の袂に合衆国の船が数隻停泊している。
    そしてその間に各国から物資を運んで来た船が停泊し、色々な荷物を合衆国の船に積み替えている。
    「クソッ!奴らこの世界をなんだと思っていやがるんだ」
    「まあクロトワ殿。我らとて“使節団”などと聞こえの良い名前を付けられているが、実のところは人質だ。今憤ってもどうにもなりませぬよ」
    「しかしタリス殿。奴らはあくまで“調査”の名目で、我らは奴らに“協力”しているんですよ。あのように貴重な品々を根こそぎ集めて持っていくのは些か図々しすぎやしませんか?あれじゃ略奪だ」
    「とはいえ、あれの睨みが利いておりますからな」
    そう言ってタリスは上空で音もなく静止している巨大な空中空母を見上げた。
    「…まあ私も解ってはいるんですがね…」
    クロトワもそれを見上げ、溜め息混じりに言った。
    「お、皆さん出てきたようですぞ」
    タリスの言葉にクロトワも視線を下げて城の方を見ると、“首脳陣”が城から出てこちらに歩いてくる姿が目に入った。
    タリスとクロトワもそちらの方に歩み寄る。
    「殿下、ご苦労様です。“使節団”の人選は了承されましたか?」
    「ああ…クロトワ、人質のような役目を押しつけてしまってすまないな…」
    「ハハ。なに柄にもないこと言ってるんですか。私のことならご心配には及びませんよ」
    アスベルとチククもそれぞれタリスとチヤルカにねぎらいの言葉を掛けている。
    荷物の積載を手伝っていたミトもこれに気付いてやってきた。
    「姫様、ご苦労様です。やはり行かれるのですか?」
    静かに頷くナウシカ。
    他の一同もそれぞれの話を終わらせて、ナウシカとミトの方に向き直っている。
    「ナウシカ。やはり戦おう。このような屈辱を甘んじて受け入れるより民だって…」
    「ダメよチクク。彼らには到底敵わないわ。今戦っても犠牲を増やすだけ」
    「しかし、どっちにしろ我々は奴らの戦争に荷担させられることになるのだ。結局捨て駒にされて落とす命なら、奴らに一矢報いた方が…」
    「生きていればきっと活路も見いだせるわ。私たちは彼らのことをまだ何も知らない。死に急いでも何にもならないわ」
    「チクク。気持ちは分かるが姫様を信じるんじゃ」
    そう言いながらミトはチククの肩を叩いた。
    「良いのかミト!我々はどうにかなるかもしれないがナウシカはどうなる?奴らに何をされるか解らないのだぞ!」
    「ナウシカなら大丈夫さ。」
    今度はアスベルが割って入る。
    「6年前だってナウシカは何度死んでもおかしくないようなことをやってのけたんだ。…そしてこの世界を救ってもくれた。ナウシカなら奇跡だって起こせるさ。な!」
    そう言ってアスベルはナウシカにウィンクをして見せた。
    「ええ。私なら大丈夫。必ず…必ず帰ってくるわ」
    ナウシカもそれに笑顔で答える。
    「さあチクク。別れは笑顔で見送るものだぞ。」
    「…約束だぞ。きっと生きて帰って来いよ!」
    どうにか笑顔を作ってチククはナウシカとがっちり握手をした。
    「ええ。チククも…それからみんなも元気でね」
    「さあ。もう時間です。遅れるとまずいですぞ」
    タリスに促され一同は船着き場の中央に陣取る船に向かって歩き始めた。

     一方、フィリップとマイケルは発進準備の整った艦の前で話をしていた。
    「では閣下、そろそろ出発いたします。」
    「うむ。抜かりの無いようにな。この作戦に失敗したら私の首だけでなくおまえの立場も危ういのだ」
    「はい閣下。それは重々承知しております」
    「人質どもはまだか?」
    そう言いながらあたりを見回すフィリップの視界に、こちらに向かってくる“使節団”とナウシカの姿が映る。
    「うむ、関心関心。きちんと来たな。ではマイク、頼んだぞ」
    そう言いながらフィリップは船から離れ、マイケルは敬礼でそれに答えた。 艦の乗降口は音もなく閉まってゆく。
    隣の艦では、ヘルメットから延びるケーブルに繋がった板状の端末を見ながら、士官が“使節団”の確認を始めていた。
    『では使節団として同行する者の確認をする。名前を呼ばれたら前に出ろ。
    まず土鬼共和国代表、同国国務大臣兼軍指令チヤルカ』
    チヤルカは松葉杖をついて一歩前に出る。
    『よし。次、トルメキア共和国代表、同国軍参謀総長クロトワ。
    エフタル辺境諸国連合代表、ペジテ技師長タリス』
    クロトワとタリスも無言で前に出る。
    『以上3名で良いな。では客人を案内する』
    そういうと別の士官が3人の前に立ち誘導するように歩き始めた。
    士官の合図でナウシカも銃を構えた兵士に囲まれて3人の後に続く。
    「みんな!きっと生きて帰って来いよ!」
    4人の背中に向けて叫んだチククの言葉は、離陸を開始した艦隊の轟音にかき消された。

     「こんなデカイ図体のくせに早いもんだねー」
    窓の外を見ながらクロトワが言った。
    彼らを乗せた艦は既にコンロ山脈を越えてもうじき海に出るところだ。
    彼らにとっては初めて目にする外洋である。
    「ほー。あれが外洋と言うやつか。まあ見た目は他の海と大して変わらないな」
    「まあ大きいか小さいかの違いだけだからな」
    タリスもそう言いながらクロトワの隣に来て窓の下を覗いた。
    「しかし、こんな高度まで上がってこんな速度を出しているのに艦内は静かなものですな。つくずく技術力の差を感じますよ」
    「まったくだ。技師としては興味をそそられるところでもあるがな」
    クロトワとタリスはお互い苦笑いをした。
    そこに兵士が食事を持って現れた。
    兵士はテーブルの上にそれを並べると無言のまま部屋を出て行く。
    「飯…ですか。チヤルカ殿もこちらへ。食べないと傷も良くなりませんよ」
    チヤルカは部屋の隅にあるベッドに腰掛けてフィリップに撃たれた足をさすっている。
    「チヤルカ殿。お気持ちも解るが食べないと体が持ちませんぞ」
    タリスに促されてようやくチヤルカも立ち上がった。
    「ふぅ…。情けない限りだな。一矢報いることも出来ずこのように虜囚の身に甘んじているとは」
    「ナウシカ殿の言う通りまずは生き残ることを考えねば」
    テーブルではクロトワがなにやら四苦八苦している。
    「ウーン。これ‥どうやって食えばいいんです?」
    「ハハ。無理もない。ほれこうやって…中身を吸って飲むんじゃよ」
    「ほう。チヤルカ殿はさすが博識ですな。…しかし、けったいな食い物ですね。赤ん坊じゃあるまいし、これじゃあ食った気がしないですよ」
    「ハハハハハ…」
    一同は不安をうち消すかのように雑談に花を咲かせるのであった。

     そろそろ夕方だというのに、眩しいほどの日差しが照りつける中、海面に突き出たドラム缶のようなものから一人の青年が顔を出している。
    彼は注意深く双眼鏡を持ってゆっくりと辺りを見回している。
    その時、下からもう一人の青年…と言うより少年に近い男性が梯子を登ってきた。
    「アユト軍曹、交代です。…しかし暑いですねぇ。こう暑いとマスクも服も脱ぎ捨てて泳ぎたくなりますね」
    少年は額の汗を拭いながら“ドラム缶”から顔を出す。
    「ハハハ。まあ気持ち的にはな。ここも昔は綺麗なところだったんだろうけど」
    そう言いながらアユトと呼ばれた青年が視線を向ける先には、海面からにょきにょきと突き出た腐海植物が群生している。
    「ええ、自分も写真で見た事ありますよ。こーんな下着みたいな服だけで、白い砂浜に綺麗な女の子が寝ころんでるヤツ。良いですよねー」
    「妄想はその辺にしておけ。むなしくなるだけだぞ。じゃあ見張りしっかり頼むぞ」
    そう言いながらアユトは少年に双眼鏡を手渡す。
    「はーい。しかし合衆国の船なんてほんとに来るんですかねー」
    「まあ調査船が目撃してからもう1週間以上経っているからな。羽蟲の群でも見間違えたのかもしれん」
    「そうですよね。大体これより西に行ったってなんの得もないですしね」
    「そうだな。3百年ほど前まではエフタルという結構大きな国があったらしいが、大海嘯で滅びて小さな部落が残っている程度らしいしな」
    「ええ。万が一エフタルに今でもそれなりの人口があったとしても、大陸の雷(いかずち)山脈を越えて侵攻してくることは出来ないですしね。北の大氷原も無理。結局海回りでこの辺を経由してくるしか無いんですからね」
    「まあだからこそ我々がここにいるってことだろ」
    「あ、そうですね。…でもいつまでこんなくそ暑いところで見張りをやらにゃならんのですかね。これならまだ主戦線で寒い思いをしている方がましですよ」
    「そうごねるな。多分あと数日なにもなければ戦闘機の空中哨戒に切り替わるさ。じゃ、しっかりな」
    そう言い残すと青年は梯子を降り始めた。
    『…すけて…』
    「(?)」
    『…たすけて…』
    「(念話か?誰だ?)」
    『誰だ?どうかしたのか?』
    『…』
    「(返事がないな…気のせいか?)」
    青年は止めていた足を動かし再び梯子を降り始めた。
    「軍曹!アユト軍曹!ちょっと来てください!」
    見張り台の上から少年の叫ぶ声が狭い昇降口にこだまする。
    アユトと呼ばれた青年は、急いで今降りてきた梯子を登った。
    「どうした!?」
    「あそこを見てください。水平線の直ぐ上です。雲の切れ間」
    そう言いながら少年は双眼鏡を手渡す。
    アユトはそれを受け取って言われた所を眺める。
    すると、雲の切れ間にかろうじて黒い点が移動しているのが見える。
    「あれは…蟲じゃないな」
    「はい。船のようです」
    「よし、お前は発光信号を送れ。『我10時方向水平線に艦影を発見せり。慎重に確認せよ』だ。俺は下に降りて隊長に知らせてくる」
    「了解!」
    アユトは発光信号を打ち始めた少年を背にして急いで梯子を降りて行った。

     風の谷の城の中。
    城の地下にあり、廊下のランプの光がかろうじて戸の隙間から射し込んでいるだけの暗い物置。
    外からは遠ざかっていく足音と共に、男性の怒鳴り声が徐々に小さくなりながら聞こえてくる。
    「良いな!私が命じるまで絶対に出すでないぞ!ミト!さっさと行かんか…」
    部屋の中には泣きながら戸を叩いている少女が一人。
    「父さまー!ごめんなさい!出して!ここから出して!」
    やがて声も足音も聞こえなくなり、かすかに差し込んでいたランプの光も無くなってしまった。
    部屋の中は完全な暗闇と静寂が支配する。
    少女も助けは来ないと悟って戸を叩くのを諦めてしまった。
    「お願い…誰か助けて…ここから出して…母さま…」

     窓から目映い陽光が差し込み、ベッドの上で膝を抱えているナウシカを照らす。
    ナウシカはハッとして顔を上げた。
    「(…夢…か。いつの間に寝ちゃったんだろう)」
    大分日も傾いている。ずいぶん長いこと寝ていたようである。
    虚ろな眼差しで窓の外を見ると先行する艦が目前の巨大な雲の中に消えてゆくところだった。
    ナウシカ達を乗せた艦もそれに続いてまた雲の中に入って行き、そして部屋の中は再び薄暗くなる。
     ナウシカが背中を付けている壁の向こうでは“使節団”の3人が暇をもてあまして沈黙していた。
    窓際に座って外を眺めていたクロトワは再び視界を奪い始めた雲に些かウンザリしていた。
    「まーた雲かよ。こちとらなーんにもすることが無いんだ。少しくらいは観光でもさせてくれって…」
    そこまで独り言のようにブツブツと言ってクロトワはふと振り返った。
    「チヤルカ殿、なんか変じゃないですかね?」
    「何が変なのだ?」
    ベッドの上で横になったままチヤルカは面倒くさそうに答えた。
    「いやね、さっきから雲から出たと思うとすぐにまた次の雲に入るんですよ。」
    「そりゃただ天気が悪いだけでは無いのか?」
    「いえいえ。さっき切れ間に出たときに見ましたがそんなに雲は多くないんですよ。それにこの船なら雲の上に出て飛ぶことだってわけないでしょ?どうもわざわざ雲を選んで進んでいるように見えるんですよね…」
    「なに?そりゃ隠れているってことか?」
    チヤルカも体を起こして真剣な表情になる。
    「はい…どうもそんな感じなんですよねー」
    「これだけの艦隊がこそこそ隠れんといかん訳でもあると言うのか?」
    「その可能性も充分あるんじゃないですかね。」
    タリスが割り込んでくる。
    「合衆国の目的の一つは我々の協力を取り付けることです。チクク殿も言っておられたが、まあおそらくはどこかの国と戦争していて戦況は思わしくないのでしょう。そうなると…」
    「その敵国の勢力に遭遇する危険性があると。そう言うことか?
    こんなところで犬死にでは死んでも死にきれんぞ…」
    3人は銘々に小さい窓に張り付いてグレー一色の外を見る。
    しばらくすると、また窓の外が明るくなり始めた。
    「お、また雲が切れますよ」
    次第にクリアーになる視界に青い海と空、そして眩しい太陽が現れてくる。
    「ウム。確かに天気は悪くないな」
    そう言っているうちに艦は微妙に針路を修正し、また進行方向には大きな雲の塊が見えてくる。
    「確かに今舵を切りましたな。やはりクロトワ殿の読みは当たっていそうだ」
    「そうだな…しかし」
    チヤルカはそこまで言って言葉を一旦切ると、再びベッドにどっかと腰を下ろす。
    「我々には何もできん。せいぜい撃ち落とされないように祈るだけだな…」
    クロトワも肩を落とし視線をチヤルカから再び窓の外に向けた。
    再び艦隊の先頭は雲の中に消えようとしている。
    今まで何度も繰り返されてきた光景だ。
    しかし、今回は違った。先頭の船が雲に入り、見えなくなってきた次の瞬間、その雲の中に閃光が煌めく。
    「!」
    一瞬の間をおいて衝撃波が彼らの艦をも揺さぶる。
    「どうしたんだ!?」
    「先頭の艦が撃たれたみたいです!」
    艦内には非常警報が鳴り響き、轟音と振動を伴って艦は急旋回を始める。
    意表をつかれたチヤルカはベッドから転げ落ち、タリスとクロトワは窓枠にある手すりにしがみつく。
    「チヤルカ殿!大丈夫ですか!?」
    「…つつ。大丈夫だ!」
    「大事な人質様を乗せているんだ。しっかりやってくれよ…」

     一方、旗艦のブリッジではマイケルが素早く指示を出している。
    「直衛機を全機艦隊前面に移動!艦載機を全部出せ!アルファ、ブラボーはエコーの盾になれ!良いか!意地でも人質を乗せたエコーは死守しろ!」
    スクリーンには飛び交う戦闘機と曳航弾の軌跡が入り乱れ、時々閃光が走っている。
    マイケルは目の前にある半球状の現況表示器とスクリーンを交互に見ながら周囲の部下に色々と指示を出している。
    「クソ!ニッポン軍の遊撃隊がこんな所に居るとは。まったくついてない…」
    「エコー及び他2艦後方の雲に入ります!」
    「よし!奴らの相手は戦闘機とチャーリー、デルタに任せて他の艦も後方の雲に入れ!一旦雲に入ったらその後雲の下に出て隊列を組み直すぞ!」
    艦隊は射撃を継続しながらゆっくりと雲の中に後退してゆく。当然敵の戦闘機はそれを追いかけようとするが合衆国の戦闘機が回り込み行く手を遮る。
    やがて、スクリーンはもやで遮られ何も見えなくなってくる。
    「IR画像をマージします。」
    「全艦に連絡!IR灯を点灯しろ!くれぐれも衝突には気を付けろよ。」

     手すりやベッドの足にしがみついていた“使節団”の3人はようやく収まった急機動に胸をなで下ろしていた。
    「ふー。一時はどうなることかと思ったが何とか切り抜けたようだな」
    「ええ、発砲も止まったようですし」
    「いや、まだまだやばいのは変わらんようですよ」
    何とか窓の外を見続けていたクロトワは外を凝視したまま答えた。
    「どうもただ単に緊急避難でさっき出たばかりの雲に入っただけみたいです。おそらく隊列を組み直してもう一度突破を計るつもりでしょう」
    「後退したのか?ならそうなるな…」
    「お、今度は雲の下に出るようですな」
    「なに?敵は待ち伏せだぞ!?それでは思うつぼではないか…」
    視界が再び明るくなり始め、眼下に陽光をキラキラと反射する海面が見えてくる。
    3人は再び、銘々窓に張り付いて眼下を凝視している。
    「…どうやら下に敵は居ないようですな」
    「1正面作戦だと?待ち伏せではなく単なる偶発遭遇だったのか?」
    「まあ我々の常識は通用しないのかもしれませんしね」
    上を見上げると続々と後続艦が姿を現してくる。
    先ほどまで聞こえていた銃声や爆発音もいつの間にか止んでいる。
    「どうやら撃退したみたいですね。良かった良かった」
    しかし、チヤルカはまだ納得行かないようで、海面をじっと見つめている。
    「チヤルカ殿。余り立ちすぎると傷に…」
    「伏せろ!」
    急にチヤルカは窓から飛び退いて叫んだ。
    クロトワとタリスも慌てて床に伏せる。
    「ズガーン!」
    それと同時に激しい衝撃と轟音が響き渡り、窓の外は閃光と爆煙に包まれた。
    「イテテ…被弾かよ」
    クロトワは頭を押さえながらどうにか立ち上がる。
    チヤルカとタリスはまだ倒れているがどうやら無事なようである。
    クロトワはそれを確認すると今度は窓の外を見た。
    「地獄絵図だな…」
    そこには真っ二つに折れて墜落してゆくもの、爆発を繰り返しながら粉々になって行くもの、煙を曳きながら海面に向かって機関砲をメクラ撃ちしているものなど、どの艦も少なくない損傷を受けているようだった。
    そして、急にガクンと床が傾いたかと思うと艦は斜めに滑るようにして海面に向かって加速を始める。
    「やばい!落ちるぞ!お二人ともいつまでも寝ている暇はありませんよ!」
    そう叫びながらクロトワは扉の方に走り寄ってドアを叩く。
    「おい!誰か居ないのか!開けろ!このまま船と一緒に心中はゴメンだぞ!」
    外からは何の反応もない。
    「クソッ!」
    腹いせにクロトワは扉を蹴った。すると、扉に少し隙間が出来る。
    「お!開くのか?」
    隙間に指を入れて横に引くと扉は難なく開いた。
    「開いた!チヤルカ殿!タリス殿!早く外へ」
    二人も頭を押さえながらおぼつかない足取りでクロトワに続く。
    しかし、外に出た三人は目を疑った。
    そこにはぽっかりと巨大な穴が開き上には空が、下には海が見える。
    「直撃かよ…」
    「しかし、不発だったようだな。何とか命拾いと言うところか…」
    「こんなところでゆっくりしている暇はありませんぞ!何とか脱出しないと」
    「しかしどうする?飛び降りるわけにもいかんぞ」
    「確かこの上がブリッジです。この調子だと操縦不能かもしれませんが、とりあえずブリッジへ行きましょう!生きている士官がいれば脱出する手だてを知っているかもしれません」
    クロトワは廊下に座り込んで動かなくなっているヒドラ兵を見ながらそう言った。
    「待て!ナウシカはどうする?」
    「そうでした。ナウシカの入れられた部屋は確かとなりでしたね?」
    そう言いながらクロトワは廊下の亀裂を飛び越えてとなりの部屋の扉に走り寄る。
    「お二人は先にブリッジへ!」
    そう叫ぶとクロトワは部屋の中に入って行った。
    「ナウシカ!しっかりしろ!おい!」
    ナウシカは部屋の隅に倒れて気を失っている。
    「こりゃダメだな。ええい!仕方ない!」
    クロトワはナウシカを背中におぶるとベッドからシーツをはぎ取りしっかりと結びつけた。
    クロトワは、けして小さくないナウシカの胸の膨らみを、背中に感じる。 「(良い感触だねぇ…そう言や最近ちっとも女に縁がないな。このまま死んだんじゃ死にきれん…せめてもう一度殿下に会うまでは…)」
    「…って、こんな時になに考えてんだ俺は…。落っこちるなよナウシカ!」
    ナウシカに聞こえていないのは解っているのだろうが、クロトワは照れ隠しにそう叫ぶと再び廊下の裂け目を飛び越えて上へ延びる梯子に飛び付いた。
     「はぁはぁ‥やっとついた」
    ブリッジについたクロトワの目に入ったのは真ん中に大穴の開いた床に倒れている士官数人と色々と機器類を弄っているタリスの姿だった。
    「ダメだ!士官はみんな死んでいる!脱出は無理だぞ!」
    士官の傍らに座り込んでいるチヤルカがそう叫ぶ。
    前面のスクリーンにはノイズが混じりながらも刻一刻と迫る海面が写っている。
    「この辺の計器が浮砲台と同じなら一応エンジンは生きているみたいだが…クロトワ殿、なんとか操縦できるか?」
    クロトワはナウシカを床に下ろすと操縦席らしき所に向かう。
    「チヤルカ殿、ナウシカをお願いします。ええと、これがこうで…」
    「早くしろ!もう落ちるぞ!」
    海面はもう目前まで迫っている。
    「ええい!ゆっくり考えている暇はねぇ!これでどうだ!上がれぇ!」
    そうかけ声を掛けながらクロトワは操縦桿らしきものを力一杯引き起こす。
    すると今まで真っ逆さまに海面に向かっていた艦首が持ち上がった。
    しかし、姿勢が変わっただけで依然として船は海面に向かって飛行…というより落下している。
    「…だめか…じゃあこれならどうだ!」
    隣にあるもう一つのレバーを左手で力一杯引く。
    「ゴォー!」
    補助バーナーが轟音を轟かせ、ようやく船は減速し始める。
    「クソォ…出力が足りない…着水します!全員衝撃に備えてください!穴から落ちないでで下さいよ!」
    クロトワがそう叫んだ直後。 「ドバァー!」
    巨大な壁のような水しぶきを上げてなんとか着水した船は、そのままばらく海面を滑走し、やがて停止した。
    「ふぅ。何とか命拾いしたようだな…全員無事ですか?」
    クロトワは後ろを振り向いて他の3人の安否を確認する。
    「ああ…なんとかな…つつっ。それにしても今日は厄日だな」
    椅子にしがみついていたチヤルカは首を左右にコキコキと倒しながら上体だけを起こす。
    負傷した足を更に痛めたようで、座ったままの状態で痛みに顔を歪めながら周囲を見渡している。
    「これでは外の様子が解らんな」
    周囲を囲っている巨大なスクリーンは完全に砂嵐しか映していない。
    「タリス、何とかならんか?」
    「何とかと言われましても…基本的な計器類などは浮砲台と同じですがこんなけったいなものは見た事ありませんからね」
    そう言いながらタリスは砂嵐を写しているスクリーンを見上げる。
    「とりあえず適当に色々弄ってみるしかないでしょう」
    クロトワは操縦席回りの機器類を色々と弄っている。
    「…そうか。そう言うことならワシにも手伝えるな」
    チヤルカは立ち上がろうとして手すり…のようなものに掴まって体重を掛ける。
    するとその“手すり”はガクンと外れチヤルカは床に転げてしまった。
    「バシュッ!」
    それと同時に、四方を囲うスクリーンは火花と共に外れ、外に向かって落ちて行った。
    オレンジ色の夕日がブリッジの中を照らす。
    「ハハ。お手柄ですなチヤルカ殿」
    「ハハハ、全くだ」
    チヤルカは外れた“手すり”を持ったまま床の上で目を丸くしている。
    「ウ、ウーン…」
    陽光に照らされてナウシカもようやく気がついたようだ。
    「おぉ、ナウシカ気がついたか?」
    ナウシカも頭を押さえながら上体を起こした。
    「…?ここは?」
    「船が撃墜されたんじゃ。何とかクロトワ殿が海面に不時着させてくれた。搭乗していた士官はみんな死んだよ」
    「…?」
    ナウシカは頭を打ったショックもあって急激な展開に付いて行けない。
    「上手くすれば逃げられるぞ」
    クロトワもナウシカの脇に近づいてきた。
    「…私‥急機動でベッドから落ちて‥そのあと立ち上がろうとしたらすごい衝撃で‥。
    みんなが私を運び出してくれたの?」
    「ああ、クロトワ殿がおぶって下から梯子を登ってきたんだ。礼を言っておけ」
    「礼なんて良いですよ!それよりこの後どうするかを考えないと」
    「その通りです。外を見てください。徐々に沈んでいる見たいですよ」
    「なに!」
    タリスの言葉にチヤルカは慌てて床の穴から下を覗き込む。
    暗くてよく見えないが、下の方からはゴーゴーと水の流れ込む音が聞こえてきている。
    「この大穴じゃあ当然か…クロトワ殿。もう一度飛べないか?」
    「はい、やってみます」
    「私も手伝うわ」
    クロトワとナウシカは操縦席に駆け寄る。
    「ナウシカはそっちのレバーを頼む。多分それぞれバーナーの出力調整だ」
    クロトワは計器を色々と確認し、操縦桿をちょっとずつ引いたり押したりしている。
    それにつられて船体も微妙に傾く。
    「舵は何とか利くみたいだが…やっぱり昇降器はダメだな。ナウシカ、バーナーをゆっくり上げてみてくれ」
    「はい」
    ナウシカは6つのレバーをまとめてゆっくりと引き起こす。
    それにつれて外からはエンジンの唸りが徐々に大きくなって海面はだんだんと下がって行く。
    「よし、良いぞ。そのまま上げてくれ」
    しかし急に船体が左に傾き出す。
    ナウシカは慌ててまとめていたレバーの右半分を戻し、クロトワも操縦桿を操作して何とか船体を水平に保つ。
    「タリス殿!どうなってます?」
    「ダメだ!左側全部の出力がどんどん落ちている。いかれてしまったようだな」
    「クソ!」
    「バラスト調整をやってみる」
    そう言いながらタリスは色々とダイヤルを回す。
    「クロトワ殿。これで行けんか?」
    「やってみます…ナウシカ、右エンジンだけ少し上げてくれ…よし」
    再び海面が下がって行くがある程度のところで止まってしまう。
    「ダメですね。これが精一杯です」
    「でも、これならしばらく沈まないでいられそうだわ。今のうちに脱出方法を考えましょう。」
    「しかし、どうする?先ほどの戦闘で艦載機は全て出してしまったようだぞ。この浸水状況では艦内を探し回るのも無理そうだ」
    「確かこの船にはガンシップとメーヴェが載せてあったわ。それを探しましょう」
    「おお、そうか!奴らの略奪が幸いしたな。確かデカイ物は後部の上の方から積み込んでいたはずだ。このまま甲板伝いに後部に行ってみよう」
    そう言いながらクロトワは操縦席の椅子にあるシートベルトで操縦桿を引いたまま固定する。
    「みんなマスクは持ってる?一応マスクを付けて行きましょう」
    「なに?ここは海の上だぞ、瘴気など…」
    「ほら、あそこを見て」
    ナウシカが指さす方向を見ると、水平線の少し手前に島のような物が見える。
    その島の上には羽虫らしき黒い点の群が竜巻のような蟲柱を作っていた。
    「風向きが変わればここにも瘴気が来る可能性は充分にあるわ」
    「…そうだな。一応マスクをしておいて損はないだろう。全員マスクは持っているか?」
    「ナウシカこれを使え」
    「ありがとう。クロトワさん」
    「礼ならミト殿に言ってくれ。出るときに『何かあったときの姫様の分じゃ』と言って預かってきたんだ」
    「そう…ミトが…(ありがとうミト。助かったわ)」
    一同はマスクを付けると甲板に降りた。
    「気を付けて。濡れていて滑りやすいですよ。…あ、チヤルカ殿肩に掴まってください」
    「よし、じゃあ行こう」
    「待って!…来る…」
    「なに?」
    甲板の影になって死角となっているところから急に羽虫が飛び出してきた。
    「伏せて!」
    「うわっ!…ヘビケラだ!」
    タリスは振り帰って視線で羽虫を追っている。
    「なんか怒っているみたいだぞ!?また戻ってくる。気を付けて!」
    「ブワッ…キチキチキチ…」
    羽虫は彼らの頭の上をかすめて飛び去る。
    そして、今度は海面に波が立ち船がゆらゆらと揺れる。
    「今度は何だ?」
    「ザバァ!」
    次の瞬間、海面が大きく割れたかと思うと海中から赤黒い巨大な塊が登場した。
    一同は掴まりどころのない甲板で振り落とされないよう必死に伏せる。
    「こ…これは…王蟲か!?」
    海から登場した巨大な蟲は赤く光る無数の目を持っている。色こそ違うが王蟲そのものと言った感じだ。
    「ズガン!ガシガシ…」
    “王蟲”に似た蟲は船に体当たりすると、普通の王蟲とは異なり先がハサミのように2つに割れた爪を船体に食い込ませる。船ごと海中に引き込もうとしているようだ。
    当然甲板の上は激しく揺れ、一同はしがみついているだけで精一杯。
    「王蟲!待って!話を聞いて!」
    ナウシカの必死の呼びかけにも“王蟲”は反応しない。
    やがて船ごと引き込むのが無理だと見なした“王蟲”は、甲板に上がってまずは憎き人間を殺そうと考えたようだ。
    甲板に這い上がってきた“王蟲”の爪がタリスに向かって振り下ろされる。
    その瞬間、ナウシカはとっさにタリスと“王蟲”の間に立ちはだかった。
    “王蟲”の爪はナウシカの眼前でピタリと止る。
    「王蟲…お願い。話を聞いて。私たちは貴方の敵ではないわ」
    “王蟲”は爪を下ろし、代わりに黄色い触手を数本ナウシカに向けて伸ばしてきた。
    ナウシカはそのうちの1本を軽く握り瞼を閉じた。
     しばしそのまま静寂の時が流れた。船の上には風と波の音のみが響く。
    そして、“王蟲”の瞳は徐々に青くなって行く。
    「…ナウシカ」
    チヤルカが声を掛けるとナウシカはゆっくりと瞼を開けて振り向いた。
    「船を不時着させるとき彼らの“島”を荒らしてしまったようです」
    「あそこに見えるヤツか?でも船体には衝撃など無かったぞ」
    「島とは言っても、海中の腐海植物達が海面上まで成長して頭を出しているだけなんです。土や岩があるわけではないから…」
    『心優しき人間よ…お別れだ。悲しむな。死も生命の一部に過ぎん…』
    唐突にナウシカの頭に“王蟲”の声が響く。
    『え?どういうこと…』
    「ガスッ!」
    ナウシカが念話で問いかけようとしたその瞬間、上空からの一筋の光が“王蟲”を貫いた。
    “王蟲”は瞳の光を徐々に失い、真っ青な体液を吹き出しながらずるずると海に落ちて行く。
    「王蟲!」
    『個は全、全は個なり…悲しむな』
    ナウシカの手から触手が滑り落ちる。
    そして“王蟲”は、涙でぼやけるナウシカの視界に、真っ青の体液で染められた海面を残して、ゆっくりと海の中に沈んで行った。
    「クソッ!奴らだ!」
    見上げるとそこには合衆国の駆逐艦が浮いていた。
    船はゆっくりと降りてきている。
    船体には無数の弾痕と、所々に捲れ上がった装甲も見える。苦戦したようだが何とか敵の攻撃は退けたと言うところか。
    『全員そこを動くな!今から収容する!』
    「け!偉そうに。誰のせいでこんな目に遭ったと思ってやがるんだ」
    悪態をつくクロトワ。ナウシカも涙を浮かべた瞳で船をにらみつけている。
    「ドガァ!」
    しかし、次の瞬間またしても閃光が視界を覆い、轟音が轟く。
    「ウワッ!今度は何だ!?」
    駆逐艦は炎と煙に覆われながらも回避行動を取っているが、直ぐに第二撃が命中した。
    一同の上にもバラバラと破片が降ってくる。
    「アチチッ!ありゃもうダメだな」
    駆逐艦は爆発を繰り返しながら斜めに落ちて行き、海面近くで大爆発した。
    爆発による波で一同の乗った船も揺れる。
    「へ!ざまぁ見ろ!」
    「そん戯れ言を言っている場合か!我らとてこの船に乗っている以上敵と見なされてもおかしくない。危ういぞ」
    「さっさとガンシップを出して逃げましょう!」
    「ダメ!動かないで。こちらを監視している…様子を伺っているわ」
    「なに?」
    ナウシカの視線の先を良く見ると、黒い煙を背景に小さい航空機が夕日を反射しているのが見える。船を監視するように一定の距離を置いて旋回しているようだ。
    「あれは…少なくとも合衆国のガンシップではなさそうだな」
    「念話で話しかけてみます…」
    『聞こえますか?私たちは合衆国の捕虜として、西の地より連れてこられた者です。あなた方と争うつもりはありません』
    『聞こえる…さっきのは君だな』
    『さっきの?』
    『“助けて”って。しかしすごいな。こんな距離まで念話が届くなんて』
    『助けて?私そんなこと…』
    『まあ良いさ。今そちらに向かう。甲板を開けてくれ』
    航空機は向きを変えてこちらに向かってくる。
    「通じたのか?」
    「え?ええ。甲板を開けてくれって」
    「ここに降りるのか?よし、みんなブリッジの方に寄ろう」
    一同はブリッジ近くまで引き返す。
     航空機は一旦頭上を通過すると船の回りを回ってなにやらボール状の物体を投下している。
    「なんだ?」
    「まあ、爆弾ではなさそうですな」
    やがて航空機はゆっくりと船の上空まで来ると、音もなく甲板に降り立った。
    コックピットのキャノピーが開き、1人の男性が降りてくる。
    『私はニッポン軍遊撃部隊西部方面隊のアユト軍曹です』
    『私は風の谷の族長ナウシカ。それから土鬼共和国のチヤルカさん、トルメキア共和国のクロトワさん、ペジテのタリスさん』
    『みんな知らない国だな…。旧エフタルの辺りですか?』
    『ええ、そうです。エフタルはご存じなのですか?』
    『はい。エフタル時代は私の国とも交易があったそうです。私の国はここより北東にありまして、今は…っていっても大分前からですが…合衆国と戦っています。
    あ、そう言えば合衆国とは関係ない貴方達まで殺してしまうところでした。申し訳ありません』
    「おい、そんなことよりこの船はもう長くは持たなさそうなんだ。我々を貴殿の船まで運んでくれないか?」
    クロトワはしびれを切らし、割って入った。
    『あ、エフタル語なんですね…』
    「…それなら直接はなせます」
    アユトはそう言うとにこっと笑う。
    「それは良かった。合衆国の奴らとは全く通じなかったからな」
    「彼らは何でも自分の国を中心だと思っていますからね。別の国の言葉なんか学ぶつもりは毛頭ないでしょう。あ、船でしたね。
    オーイ!チェン!大丈夫だ。降りてこい」
    航空機からもう一人男性…と言うより少年が降りてきた。
    「確かチェンは北部出身だったよな?」
    「はい、そうですが‥」
    「ならロシア語は解るよな?彼らの言葉はエフタル語なんだが、基本的にはロシア語とほとんど同じだから直接はなせると思うぞ」
    「あ、そうなんですか?では…」
    チェンと呼ばれた少年は「コホン」と咳払いをして自己紹介を始めた。
    「自分はチェン上等兵です。アユト軍曹と同じ部隊の所属です。よろしく」
    「よろしく。で、船は?」
    「チェンはこう見えても機械には強いんですよ。とりあえず見てみましょう。もしこの船が飛べるなら我が軍にとっても重要なサンプルですしエンジンは貴重です」
    「君らの国でもエンジンは作れないのかね?」
    タリスは興味ありげに訪ねた。
    「ええ、修理くらいなら出来ますし構造は大体解っているんですが、すごい精密な部品が使われているんで、今の工作機のレベルじゃ部品を一から作るのは無理なんですよ」
    「そうかやはり…」
    タリスとチェンは技術話に花を咲かせながらブリッジへと登っていく。
    「我々も行きましょう」
    アユトに促されて一同はブリッジに戻っていった。

  5. 脱走

     「残存兵力の集計は出来たか!?」
    「はい…ええと現時点では本艦以外に無傷0、小破2、中破5です。残りは確認できていませんがおそらく大破以上だと思われます。戦闘機は作戦行動可能なものが6機です」
    マイケルは苛立ちを押さえきれず、けして広くはないCIC(戦闘指揮所)を落ち着き無く歩き回っている。
    「全く…よりにもよってこんな大事な作戦で…
    敵の動向はどうなっている?」
    「敵戦闘機は大半を撃墜したと思われます。大型航空機の類は撃破の確認が出来ている物が2、未確認ながら撃破したと思われるものが4です。一般的な遊撃隊の編成からしますとほぼ壊滅と見なして宜しいかと」
    「未確認の成果は話半分だ。そうするとまだそこそこは残っている可能性が高いか…」
    「フォックスから入電。8時方向水平線に爆煙です」
    「なに?8時というとエコーが落ちた方向か?」
    「はい、そうなります」
    「…」
    マイケルは立ち止まって考え込んでいたが、急に顔を上げると大声で命令を発した。
    「よし!戦闘可能な艦と戦闘機だけ集めて至急陣形を整えろ!8時方向にエコーを捜索する。戦闘機は半径40マイルで輪形警戒だ。今度は抜かるな!」
    「了解!作戦を全艦に送信します」

     「ゴウンゴウン…」
    ナウシカ達の乗った船はアユトとチェンの操縦で浮かび上がっていた。
    「いやーすばらしいですな。こうもあっさりと直るとは」
    「いえ、私は単に手動操縦に切り替えただけですから。合衆国の船は戦前に作られただけあってかなり頑丈なんですよ。こいつもブリッジを徹甲弾が貫通して操縦系の回路がいかれちゃっただけで、飛行に必要な機器類は機械的には充分生きていますから」
    「回路?」
    「あ、回路じゃ解りません?電子回路です。ええと、どこから説明すればいいのかな…電気は解ります?ええ、ライトを点灯させたりするヤツです…」
    チェンはアユトの操縦をサポートしながらタリスとまだ技術話を続けている。
    「まったく機械好きの話は止まらないな…しかし、貴方方は運が良いですね。弾があたった場所がちょっとでもずれていればエンジンなり弾薬なりが誘爆して木っ端微塵でしたよ」 アユトはチェンとタリスの会話に苦笑いしながら後ろを振り向いた。
    「運は運でも悪運って感じだがな」 クロトワは苦笑いを浮かべながら答えた。 「そろそろ暗くなってきましたね。ライトがないと辛いな… 誰か操縦を代わってくれませんか?操縦の得意な方は…」
    「船の操縦ならクロトワかナウシカだな」
    チヤルカの言葉に二人はお互い顔を見合わせる。
    「こういう大きい船ならクロトワさんの方が」
    「じゃあ俺が代わろう。一応まがりなりにもさっきちょっとは操縦したしな」
    「お願いします。解ります?」
    「さっきどうにか不時着させただけでな。俺らの世界にも似たような船があるんだが微妙に違っているようで…」
    「じゃあざっと説明しますね…」
     操縦をレクチャーするアユトの声を聞きながら、ナウシカはぼんやりと外を見た。
    夕日がもうじき水平線に掛かりそうなところで、真っ赤に燃えている。
    フィリップ達が来襲した夜以来、安心して息を付けるのもずいぶん久しぶりな感じだ。
    だが、実際にはまだ何も終わっていない。
    結局ナウシカ達の世界は未だフィリップに支配されたままだし、この先アユト達ニッポン軍と、フィリップ達合衆国軍との戦争に巻き込まれて行くであろうことは容易に想像がつく。
    そう言うことは頭では解っているのだが、この一時の平安がナウシカには非常に暖かかった。このまま時が止まってしまえばどんなに楽だろうとさえ思える。
    そんな思いに浸っているナウシカをチェンの言葉が現実に引き戻す。
    「島が見えてきました」
    「ああ、今行く」
    アユトはいつの間にかクロトワへのレクチャーを終えて、今はリュックから出した携帯用ライトの一つを操縦席から少し離れたところに吊している。
    その作業が終わるともう一つのライトを持って前方の窓−とは言っても現在は窓枠しか残っていないが−の際まで歩いていった。
    ナウシカもアユトに近づいた。
    「もうじき我々の仲間がいるところにつきます。識別信号を送っておかないと… この船でいきなり近づいたら攻撃されかねないですからね。」
    「でもアユトさんは…」
    アユトは笑いながらナウシカの話を遮る。
    「はは…アユトでいいですよ。さん付けじゃあどうもくすぐったくて」
    「フフ…じゃあ“アユト”…は念話が使えるんでしょ?念話で語りかけていれば…」
    「私の念話力じゃナウシカさんみたいに遠くにいる相手には伝わらないんです。頑張ってもせいぜい大声で呼びかけるくらいの距離までですよ」
    「私のことも“ナウシカ”で良いわ。それにそんなかしこまったしゃべり方じゃなくてもね」
    「そうですか?ずっと軍にいるから女性と話すことも滅多になんで…別にかしこまってるつもりはないんですが…」
    「チェンさんに話すときみたいに普通に話してくれれば良いのよ。男も女も関係ないわ」
    「私もさん付けは辞退しますよ」
    突然会話に入ってきたチェンはそう言うとニコッと悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
    「ハハハハ…」
    ナウシカとアユトは顔を見合わせて笑った。
    「軍曹、味方の戦闘機みたいです。仕事の方もしっかりお願いしますよ」
    チェンの言葉にアユトは視線を前方に戻す。
    「おっと。撃たれたら大変だ」
    そう言いながらアユトはライトを操作してチカチカと点滅させる。
    それに答えて、そろそろ暗くなってきた東の空にぽつんと見える黒い点も光の点滅を返してくる。
    何度かそんなやりとりをした後、アユトは振り返って口を開いた。
    「クロトワさん停船してください。一応ここで乗船調査を行うと言っています。調査が終わったら基地にご案内します。まあ基地と言っても急ごしらえの野戦基地ですが少しはゆっくりしていただけると思いますよ」
    「了解…」
    クロトワは船を停止させると周囲をキョロキョロと見回しながら尋ねた。
    「しかしこんな腐海の真ん中に野戦とはいえ基地があるのか?」
    「もう暗くなってきているんでちょっと見えませんが地平線付近に戦前の遺跡があるんです。セラミックで出来たドームなんですが、村1つくらいは丸々入るくらいの大きさになっています。それに、今の時代のセラミックとは比較にならない硬度なんで、そこは腐海の木々も侵食できないんですよ。
    まあ、口が開いてるんでマスクとか防毒テントとかは必要ですが、蟲除けを焚いておけば羽蟲も寄ってこないんで、急ごしらえの前線基地には最適なんです。
    あそこに入ってしまえば合衆国の残党が残っていたとしても簡単にはやられませんよ。もっとも壊滅に近い打撃ですからしっぽを巻いて逃げていると思いますけどね」
    「蟲除けか。便利なものを持っていやがるな。さっき船の回りに落としていたのもそれか?」
    「ええ。あれは水棲型の蟲に利くやつで王蝦(きみえび)にも有効です」
    「王蝦ってあの赤い王蟲みたいなヤツか?
    …あ、すまんナウシカ。思い出させちまったか…」
    ナウシカは悲しそうな表情を浮かべていたが、首を振って作り笑いを浮かべる。
    「王蟲が言ってたわ…『死もまた生命の一部。だから悲しむな』って…」
    「そうか…そんなことを。王蟲ってヤツはすごい生き物だな。ひょっとすると俺ら人間より神に近い存在なのかもしれん」
    クロトワが視線を戻すとアユトとチェンは不思議そうな表情を浮かべていた。
    「ん?…あぁ、二人はナウシカの力を知らないんだもんな。
    ナウシカは蟲とも心を通わせることが出来るんだ。まあ変わり者だがな。そのおかげで何度も助けられてきたよ」
    「え?それはすごい!まるで緑の国の王家みたいだ!」
    二人は興奮した様子でナウシカに近づく。
    「ナウシカ。是非我々の国に来て教祖様に会ってくれないか?」
    「私からもお願いします!貴方は我々の救世主、“青き衣の人”かもしれません」
    「え?青き衣?貴方達の国にも青き衣の伝説が?」
    航空機の爆音がナウシカの声を遮る。
    「あ、ゴメン。味方の船が来たみたいだ。話はまた後で」
    アユトはそう言うとチェンと二人で甲板に出ていった。

     「エコーを発見しました!ニッポン軍の航空機とランデブーしています」
    「よし上出来だ。こちらにはまだ気付いていないな?」
    「はい、ちょうど太陽と重なるように針路を取ってあります。この距離で見つかることはまず無いかと」
    「エコーのリモートコントロールは利くか?」
    「少々お待ち下さい…コンピュータからの反応がありません。本艦が太陽を背にしているためか、電子機器が故障しているのかはちょっと解りませんが」
    「…仕方ないか。よし!艦隊V字陣形。戦闘機は後方護衛に2機を残して残りはこのまま前進。射程内に入ったらミサイルを全弾発射して左右に散開。艦隊は戦闘機の散開を合図に全面攻撃を開始だ」
    「それではエコーも被弾する可能性が高いですが?」
    「構わん。撃墜してから人質が生存していたら回収する。このまま逃げられる危険を冒すくらいなら人質もろとも落とした方がましだ」
    「了解。では作戦指令を各艦に送信します」

     アユトとチェンは手に持った赤いライトを振りながら甲板に味方の戦闘機を誘導していた。
    船の回りには大型の航空機や戦闘機が何機か旋回している。
    ナウシカはそんな光景を眺めながら、先ほどのチェンの言葉を思い出していた。
    「(青き衣…エフタル時代は交易があったとは言っても、そんな遠くの国にまで同じ伝説があるなんて…どういうことなの?)」
    他の三人も言葉を発することなく、アユト達の作業を見守っている。
    おそらく同じようなことを考えているのだろう。
     しかし、突然ナウシカの脳裏を閃光が走り、思考を遮る。
    「(なに?また何か来る…)」
    ナウシカは視線を夕日に向ける。
    「ん?どうしたナウシカ?」
    クロトワの問いかけには答えず、ナウシカは窓から身を乗り出すようにしている。
    沈みかけているとは言え、眩しい夕日に目を細めながら凝視する先には、なにやら黒い点が見える。
    しかし、ナウシカにはそれで充分だった。
    ナウシカの鋭い勘は、それが危険な物であると言っている。
    「クロトワさん!急降下!急いで!」
    「え?!ど、どうしたんだ?!」
    突然のことにドギマギしながらもクロトワは操縦桿を握る。
    「アユト!伏せて!」
    再び窓から身を乗り出して、甲板にいるアユト達にもそう叫ぶと、ナウシカはクロトワの横に走り寄ってスロットルレバーを握る。
    「早く!」
    「なんだか解らんが…」
    そう言いながらクロトワが操縦桿を操作すると船体は糸の切れた錘(おもり)のように重力に任せて落下を始める。
    甲板ではアユト達が慌てて命綱にしがみついた。
    次の瞬間…
    「ドガー!」
    直ぐ上で着艦しようとしていた戦闘機は一瞬にして火の玉と化した。
    回りで旋回していた航空機も半数以上が火や煙を噴きながら落下し始めていた。
    「機関全開!クロトワさん!全速で回避行動!」
    「了解!…また奴らか?!」
    「多分…来るわ!第二撃!もう一度急降下して!」
    「了解!行くぞ!」
    船体は再び急降下し、ブリッジの中は無重力状態になる。
    「バシュッ!」
    大きく穴の開いたブリッジの屋根の上を3本の閃光が煙の尾を曳きながら走り抜ける。
    「…危ねえ危ねえ」
    「あそこの谷間に入りましょう!」
    ナウシカの指さす先には切り立った崖に挟まれた渓谷が見える。
    「よし!皆さんしっかり掴まってて下さいね!」
    船は狭い谷間に滑り込んだ。

     「エコーに逃げられました!」
    「何をやってるんだ!しっかり狙ったのか?!」
    「まるでこちらの攻撃を予期しているように回避されています」
    「そんな訳あるか!もう一度攻撃しろ!」
    「ダメです!谷間に入りました!戦闘機に後を追わせます!」
    「クソッ!本艦もエコーを追跡!敵遊撃隊の残りは他の艦に任せろ!」
    「了解!」

     “エコー”ブリッジではアユトとチェンがどうにか命綱を伝って這い上がってきた。
    「アユト、大丈夫?!」
    「ああ、何とか…」
    チェンに手を貸すために後ろを振り向いたアユトの視界に4機の戦闘機が映る。
    「気を付けて!戦闘機が追ってきている!」
    「ガガガガ…チュイン‥チュイン…」
    戦闘機の機関砲が船体に当たって火花を散らす。
    「クソッ!撃って来やがった!」
    「でもミサイルを撃ってこないところを見るとミサイルは弾切れみたいだ。これなら何とかなります!チェン!この船の武器は?」
    「電子機器がいかれてるんで自動照準は無理ですが機関砲の手動操作なら…」
    そう言いながらチェンはブリッジ後方の椅子に座る。
    「…なんとか後ろの2門は撃てそうです!軍曹はそっちをお願いします!よーし、反撃開始だ!」
    「ガガガガガ…ドウ!」
    戦闘機が1機火を噴いて墜落する。
    「やった!もう一丁」
    意気込むチェンを後目に、残りの3機は急上昇して去って行く。
    「あれ?逃げやがったのか?…皆さん!敵戦闘機は敗走しました!」
    「じゃあスピード落としても…」
    クロトワがそう言おうとした瞬間…
    「ズガン!」
    目の前の崖が突然爆発し岩の破片が船体を叩く。
    「なんだ?!」
    「クソッ!船だ!あれは…敵の旗艦です!」
    後ろを見る一同の目には渓谷の上を追跡してくる大きめの駆逐艦が映る。
    「クロトワさん!もっと低く飛ばないと撃たれます!」
    「ダメだ!これが限界だ!」
    アユトとチェンは必死に機関砲を撃つが相手が駆逐艦では全く歯が立たない。
    「ダメだ!機関砲じゃ…」
    「ドガン!」 巨大なハンマーで叩かれたような衝撃と共に船尾から煙が上がる。 「被弾しました!」 「エンジン出力が落ちてる!何とかならんか!?」 「(もうダメなの?)」
    悲観して視線を落としたナウシカの視界が、突然暗くなる。
    アユトの声も機関砲の轟音も遠くなりやがて聞こえなくなる。
    辺りは一面の闇と静寂だ。
    「ここは?私…死んだの?」
    良く見ると暗闇の中になにやら青い光がぼんやりと見える。
    「あれは…王蟲…」
    『心優しき人間よ…お前にはまだやらねばならないことがある。諦めるな』
    「でもこの状況じゃ…もう打つ手はないわ…」
    『私の懐(ふところ)に…』
    「懐?」
    『私の懐に入りなさい…』
    王蟲の瞳の光が消え、再び視界を闇が覆う。
    「王蟲、待って!どういう意味?懐って…」
    ナウシカの視界に光が戻ってくる。
    クロトワの声と機関砲の轟音も徐々に聞こえてくる。
    「…おい!ナウシカ!聞こえてるか!谷が終わるぞ!上昇だ!バーナーを!」
    クロトワが必死に呼びかけている。眼前には谷の終端を成す崖が迫っている。
    「懐…そうか!あそこだわ!クロトワさんこのまま真っ直ぐ!あの洞窟に突っ込んで!」
    ナウシカの指さす先には、渓谷を作り出している川が流れ出ている穴が見えるが、どう見ても船が入れるほどの大きさではない。
    「なに?!冗談だろ!ありゃどう見ても小さすぎるぞ!いくらなんでも自殺行為だ!」
    しかしナウシカの目は真剣だ。
    「ズガン!」
    再び側面の崖が爆発する。
    「…クソ!もうどうにでもなれだ!行くぞ!」
    そう言うとクロトワは操縦桿を押して船を洞窟に向け降下させた。
    「全員伏せろ!」
    「ドガガガガガ…」
    船は洞窟の入り口にある木々を砕き、自らが盛大に巻き上げた砂と胞子の煙の中に消えた。

     「エコー墜落しました!」
    「馬鹿め、撃ち落とされるより自ら死を選んだか。
    よし!戦闘機とシャトルを出して直ぐに墜落地点を調査しろ!」
    「無理です!墜落の衝撃で砂煙が大量に上がっていますし、蟲共も騒いでいます。数時間待って砂煙と蟲が落ち着いてからでないと…」
    「…仕方ないな。幾らなんでもあれで生きていると言うことはあるまい。
    では戦闘機はこの場を監視。本艦は戻って艦隊と合流だ。とりあえず遊撃隊の残党を一気に殲滅するぞ」
    「了解」

     「みんな大丈夫?」
    「ああ、大丈夫だ」
    暗いブリッジで床に伏せていた一同はそれぞれ頭を上げる。
    ブリッジの中は腐海植物の胞子や枝等が散乱しているが、完全に潰れることもなく、居住空間は保たれていた。
    「いや、しかし奇跡だな。あんな小さい穴にあのスピードで突っ込んで、一番出っ張っているこのブリッジが無事とは」
    「チヤルカさん感心している暇はは無いですよ。奴らが墜落地点の調査を始めるかもしれません。早いとこ移動しましょう。それにこんな腐海の真ん中じゃあ、いつ蟲が襲ってきても不思議じゃありません」
    アユトとチェンは甲板に降りるときに結んだ命綱を解きながらそう言った。
    「蟲は大丈夫。マスクも要らないわ」
    「え?だってここは…」
    そう言いながら外を見たアユトは目を疑った。
    そこは巨大な地下空洞で腐海植物も蟲も全く見あたらなかった。
    「なんだここは?」
    「ここは腐海の最深部。腐海の木々が枯れて降り積もって出来た空間なの。
    腐海の木々は大地や水の毒を自らの体に取り込んで、無害な結晶に変えているのよ」
    「腐海の木々が…」
    アユトとチェンは信じられないと言う様子で外の風景に見入っている。
    「我らも話だけは聞いていたが、実際に見るのは初めてだ。いやしかしすごいな…」
    チヤルカ達も見入っている。
    「景色に見とれるのは後にしましょう。蟲は大丈夫だけど、外が静まれば多分追っ手が来るわ。クロトワさん、この船はまだ飛べる?」
    ナウシカはそう言いながらさっさとマスクを外している。
    「あ、ちょっと待ってくれ」
    クロトワもマスクを外して操縦桿を握った。
    操縦桿を色々動かしてみるが船は微動だにしない。
    「…だめだな。さすがにこの船も限界か…タリス殿、そっちはどうです?」
    「エンジンが完全にとまっとるな。チェン、直せそうかね?」
    タリスは計器を色々と見ながら、おそるおそるマスクを取っているチェンに話しかけた。
    「あ、はい。ちょっと待ってください。今見ます…」
    チェンはリュックからライトを取り出してコンソールの下に潜り込んだ。
    「…軍曹、再始動やってみてください」
    「解った。タリスさん、合図をしたらそっちの始動レバーを…行きますよ。3、2、1、はい!」
    アユトとタリスがそれぞれ同時にレバーを操作する。
    「キュイーン…」
    「お、始動したか?」
    「いや…ダメですね。始動装置は回っているみたいなんですがエンジン本体が点火しません」
    「直せそうか?」
    「ちょっとやってみないと何とも言えませんね。10分くらい時間を下さい」
    そう言うとチェンは工具をもって再びコンソールの下に潜り込んだ。
    「じゃあ手分けしましょう。
    タリスさんとチヤルカさんはここでチェンを手伝って。私とアユト、クロトワさんで動きそうな乗り物を探しましょう」
    「そうだな。じゃあそうしよう」

     「ブリッジ!ダメだ!蟲に阻まれて奥へ進めない!クソッ!…ジジ…
    ガガガガガ…弾が切れ…助けてくれ!キャノピーが…られた!…うわ…ジジジ…」
    「…通信切れました」
    「大佐、これ以上の捜索は無理です」
    「何を言う!地上に残骸が残っていない以上、あの洞窟に突っ込んだとしか思えんだろう!人質共を逃がして見ろ!我々は雁首そろえて退役だぞ!それでも良いのか?」
    「いえそんなことはありませんが…しかし、そう仰られましてもこの状況では残存兵力全てが蟲の餌になるのがオチです。それに、例え墜落に艦が持ちこたえていたとしても、あの状況です。100%蟲に喰われていますよ」
    「気軽に100%などと口にするな!100%という確率などはありえん!」
    「申し訳ございません…」
    マイケルは瞼を閉じて考え込んだ。
    結局、遊撃隊の残党を片付けた頃には夜中になってしまい、夜明けを待って洞窟の調査を開始したのだが、洞窟には蟲たちが異常に集結していて調査は手詰まりになっていた。
    他の参謀達も万策尽きたという感じで皆うつむき加減に黙り込み、しばしの間、CICを静寂が包む。
     「敵の作戦計画書解読が完了しました」
    コンピュータを操作していたオペレータがこの気まずい静寂を破った。
    「要点を報告しろ」
    「は!どうやら我が艦隊が西進時にこの付近で目撃されていたようで、敵遊撃隊はその情報を確認すべく、ニッポン軍西部防衛本部から派遣されたようです。作戦期間は本日正午までで、それまでに我が艦隊を発見できない場合は戦闘機の哨戒に切り替える為、現地で引き継ぎを行うという内容です」
    「なんだと?」
    マイケルはそう言いながら左腕の時計を見る。
    「あと3時間か…」
    「敵戦闘機はやっかいです。数にもよりますが、残された兵力ではおそらく殲滅は難しいでしょう。そうなると直ぐに本隊が…」
    「そんなことは言われんでも解っている!クソッ!つくづくついてない…」
    マイケルは爪を噛みながらCICの中を歩き回り、取り巻きは再び沈黙してそれを見守った。
     しばらくその状態が続いた後、マイケルは急に立ち止まった。
    「全艦ミサイル残弾数の半分をあのクソ忌々しい洞窟にぶち込め!洞窟の爆破が終了したら1時間以内に敵遊撃隊との交戦証拠を隠滅!…それからトーチカ跡には蟲の死骸でもばらまいておけ」
    「了解」
    「以上の作業が終了次第、シュワへ向けて出発だ。以上、全艦に送信しろ」
    「本国ではなくシュワに戻るのですか?」
    「同じことを二度言わせるな!シュワだ!」
    「すみません…命令を全艦に送信します」

     「…諦めて撤退したのかな?」
    アユトは双眼鏡を覗いたままそう言った。
    双眼鏡の視界には、先ほどまで右往左往する合衆国の船が映っていたが、隊列を組んで雲の中へと消えてしまっていた。
    「でも雲に隠れて待ち伏せして、私たちが出てくるのを待っているという可能性もあるわ」
    「ああ、そうかもしれない。でもいつまでもここに隠れているわけにも行かないしな。船が直ったら行動を起こすのが良いだろう」
    「そうね。とりあえず下に降りましょう」
    ナウシカは四つん這いの体勢で単眼鏡を腰に付けたポシェットにしまいながら、狭い腐海植物の隙間を後ずさって行く。
    アユトはナウシカが行ったのを確認して、自分も同じように後ずさりした。
    崖に迫り出した棚まで出るとようやく立ち上がることが出来る。
    二人はそこまで来ると手早くシャトルにかぶせた迷彩色の布を外して中に乗り込んだ。
    「キュイーン…ルルルルルル…」
    シャトルは小さい音を立てながらゆっくりと浮上し、がけの下に向かって降下を始める。
    操縦桿を握るアユトの表情は暗かった。
    「…仲間のことを?」
    「ああ。あの様子じゃ味方は全滅だ…ここに来る前に結婚したばかりのヤツとかもいたんだ…」
    「そう…可哀想に…」
    「…あ、ゴメン。しんみりさせちゃったね。…そうだ、昨日の話の続きをしよう。
    君には是非教祖様にあって欲しいんだ」
    「ええ、それは構わないけど…貴方達の国にも青き衣の伝承があるの?」
    「ああ。青き衣を纏った神の使いが巨神兵と共に再び地上に現れて、俺達人間を再生の地へと導くという教典があるんだ。教典では巨神兵も凶暴な蟲たちも青き衣の人の僕(しもべ)と言われている」
    「(巨神兵?!)」
    「だから、蟲とも心を通わせることの出来る君は青き衣の人なんじゃないかと…ん?どうしたんだナウシカ?」
    「別に…なんでもないわ」
    「あ、そうか。そりゃ急に“神の使い”扱いされたんじゃびっくりするよな。俺は信心深い方でもないんで本当に神の使いだなんて思っていないよ。ただ、巨神兵が実在したのは確かだし、今も地下深くに眠っている物もあるらしい。だから教典はある種の預言…というか予測なのかなって。
    巨神兵はきっと強大な力を持った兵器なんだろう。多分蟲たちも元は兵器として作られたんだ。そして“青き衣の人”というのは、そう言った者達を統べる力を持った人なんだろう」
    「世界を焼き尽くしてこんなにしてしまったのは巨神兵なのよ?そんな物を神の使いだと言うの?」
    「繰り返しになるけど、俺自身は“神の使い”だとは思っていないよ。
    でも、強大な悪に対抗するには結局強大な力が必要なんだ。きれい事だけじゃ世の中は変わらない。
    裁きの日…火の七日間のことなんだけど、それもこの星に蔓延った悪を焼き尽くすためには必要なことだったんだと思ってる。現実には完全に悪を殲滅することは出来なかったけどね」
    「それで、もう一度残った悪を滅ぼすために巨神兵とそれを操る“青き衣の人”が現れると言うの?」
    ナウシカの口調は徐々にアユトを責めるような感じになってきていた。
    アユトもそれを感じて、些か表情は曇っている。
    「ああ、そう言うことになるかな。きっと誰かが地下に眠っている巨神兵を復活させて俺達の味方をしてくれるんじゃないかとね。兵器ならば結局使う人間次第だよ。上手くコントロールできるなら良い方向にも使えるさ」
    「都合の良い考えね…それじゃあ結局合衆国と変わらないわ」
    「俺達は好きで戦っている訳じゃない!合衆国と同じにしないでくれ!」
    さすがにアユトも怒りを隠しきれず、ナウシカを睨んで声を荒げた。
    しかし、直ぐに前に向き直り再び静かに続ける。
    「…腐海はどんどん広がって、俺達の住む場所はどんどん少なくなってきているんだ。それなのに新天地を求めようとすれば合衆国のような奴らが出てくる。別に俺達は合衆国を皆殺しにしてその土地を侵略しようとしたわけじゃない。ただ安住の地を求めていただけなんだ。それなのに奴らは話し合う機会も設けず、いきなり我々の調査隊や最初の移住者達を皆殺しにしたんだ。
    結局、腐海を焼き払い合衆国を蹴散らさないと俺達に未来はないんだよ。そのためにはやっぱり巨神兵のような強大な力が必要なんだ」
    「そんな…貴方も見たでしょ?腐海の木々は自らの命を使って人間が汚した大地や水をきれいにしてくれているのよ?その森を焼き払おうというの?」
    「…そうだな。腐海がこんな機能を持っていたのには正直驚いたよ。でも、何百年も何千年もかかるような浄化を待ってはいられない。それに合衆国はこっちが戦争をやめると言ったところで引き下がってくれるようなお人好しじゃない。これ幸いと攻め込んでくるのは目に見えている。せめて腐海の拡大と合衆国の侵略をくい止めるだけの力は必要なんだ」
    「私の生まれ育った谷の人たちは腐海の畔でも争うことなく平和に生きているわ。欲張らなければ…」
    アユトは前を見たまま、広げた手のひらをナウシカの前にスッと差し出した。
    「ゴメン。もうやめよう。これ以上言いあっても喧嘩になるだけだ。
    …ほら、みんながいるところも見えてきた。合図を送ってくれないか?」
    「…ごめんなさい。私も出過ぎたことを言ってしまったわ」
    ナウシカはそう言いながらライトを手に取ると、仲間のいるであろう方向に向かってチカチカと点滅させた。

     「…そうですか。なら明朝には出られそうです」
    チェンはガンシップの下から這い出しながらそう言った。
    「え?もう修理終わるのか?」
    「はい。こいつはエンジンが海水に浸かっただけで物理的なダメージは0ですよ。持ってきた壱偵(いちてい:アユト達が載っていた偵察戦闘機の通称)のエンジンパーツを上手く付ければ飛ぶのは問題無しです。しかし、こいつの機体はすごいですよ。王蟲の殻を使っているらしいんですが、強度の割にすごい弾性があるんです。さすがエフタルですね」
    「王蟲の殻か。どおりで工廠(こうしょう:軍需品を造る工場)の連中がいくらエフタル時代に仕入れた機体を解析しても材料が解らないわけだな」
    「ええ。でも王蟲の殻じゃ材料が解ったところでちょっと我々には手が出せませんけどね」
    「まあな。あ、それより今から今後の行動をみんなで話し合おうとしているところなんだ。お前も来てくれ」
    「了解。…でもちょっと待っててください。ここ閉じちゃったら行きますんで」
    そう言いながらチェンはまたガンシップの下に潜り込んだ。
    「早くしろよ」

     「すいませんお待たせしました」
    チェンが小走りでやってきた。
    「あ!飯喰ってるんですか?ずるいなー」
    「お前が遅いからだ。ほら、お前の分もちゃんとあるからさっさと座れ」
    アユトはそう言いながらパック状の携帯食料をチェンに向かって投げた。
    「じゃあそろったところで今後の行動について決めましょう。まずこれを見てください」
    アユトは傍らに置いたリュックから半球状の物を取り出して真ん中においた。
    「これは地球…この星を表した物です。我々の軍が主に行動する方の半分ですがね。
    それで、ここが今我々がいる場所です。さっき偵察に出たときに、太陽の位置から大体位置は割り出してきました」
    アユトはそう言いながら待ち針のような小さなピンを半球義に立てた。
    皆はアユトの手元を見ながら頷いている。
    「それから、我が軍の常設基地で一番近いのはここです。ここまで我々の戦闘機だと半日で行けますが…チェン、あのガンシップだとどれくらいかかる?」
    「ええと、エンジンは壱偵のパーツを付けたんで、スピードはかなり上がったとは思いますが、さすがに壱偵と同じ速度は無理です。ですから日の出前に飛び立って日没にぎりぎり間に合うかどうかってところですかね」
    「そうか。それとナウシカから聞いた話を元にして貴方方の国の位置をこれに当てはめるとおそらくこの辺りです。この辺は軍の行動範囲外なんで、地図がなくて詳しくは解らないんですが、南回りで海の上を通っていくルートは合衆国軍に見つかる可能性が高いです」
    「それに我々の船ではコンロ山脈‥ああ、大陸の南側の海際にある山脈なんだが、これを越えられないぞ」
    クロトワが補足した。
    「そうですか。チェン、それは何ともならないのか?」
    「ええと、翼は変わってないんでスピードが上がった分だけ上昇限界が多少上がっている程度ですから、無理だと考えた方が良いでしょうね」
    「じゃあこっちのルートは完全にアウトですね。そうすると陸伝いに回っていくこっちのルートしかありません。で、この辺りは砂漠地帯で砂嵐が多く、船での移動は不可能です。ただ、砂漠にも人が住んでいまして…」
    「ああ、それなら知っている。俺の国、トルメキアからは海峡を挟んで直ぐ先にその砂漠があるんでね。トルメキアでも何度か調査隊など派遣したらしいんだが、全て追い返されたそうだ。何でもかなり凶暴な奴らだとか」
    「ええ、基本的によそ者を受け付けない人々です。ただ、我々の国はこの砂漠の民と交易があります。彼らもエンジンや武器を必要としていましてね。
    で、商船を護衛したりするために、小さいですが我が軍の駐屯地もあるんです。貴方方の国に帰るなら、この駐屯地まで飛んで後はなんとか陸路で砂漠を越えると言うのが現実的ですね。駐屯地は砂嵐などを避けるために場所が移動するんで詳しいことは解らないのですが、一番近い駐屯地は大体この辺です。ですから、基地に行くとの同じくらいですね。後は陸路にどれくらいかかるかですが、これはちょっと解りません」
    「それで、どっちに行くか我々に決めろと言うことか?」
    今度はチヤルカが口を開いた。
    「ええ、そうなります。私としては軍に出来るだけ早く復帰して合衆国の動きを本隊に知らせたいところですが、機体は貴方方の物ですから」
    「基地に向かった場合、到着した後我々はどうなるのだ?」
    「…正直言って解りません。私としてはそのまま軍として貴方方に同伴し、合衆国を撃退する加勢をしたいと思いますが、上層部がどう決断するか…
    ただ、我が軍にとってもエフタル地方が合衆国の手に落ちるのはかなりの痛手です。後方にも脅威が発生することになるんですからね。そう考えればきっと加勢できることになるとは思いますが」
    「そうか。実際、我々だけ帰ったところで何か出来るわけでもないしな。ではアユトの言うとおりにするか…」
    「待ってチヤルカさん。もし、アユトの想像通りニッポン軍が加勢してくれると言うことになっても、強大な軍隊が正面からぶつかることになるわ。そうすれば、きっと泥沼の戦闘になる…トルメキアも土鬼も…折角復興してきたのにまた焼け野原よ」
    「まあ、確かにその通りだが…。しかし、このままではずっと奴隷扱いだぞ?」
    「ええ、それは解っているわ。チェン、私のメーヴェは直せる?」
    「え、メーヴェってあの凧ですか?まあ、見てみないと何とも言えませんが、多分あれも海水にエンジンが浸かっただけだと思うんで、壱偵の補助エンジンのパーツを使えばなんとか出来ると思いますよ」
    「じゃあ、2手に別れるというのはどう?私がメーヴェで基地に向かって、みんなはガンシップで帰る。そうすれば私がニッポン軍に支援を要請できるし、みんなはそれぞれの国に帰って準備を整えることができるから、敵も味方も少ない損害で合衆国を追い払うことができるかもしれない」
    「ハハ。“敵も味方も”か。ナウシカらしいや」
    「クロトワ殿、冗談を言っている場合ではないぞ。ナウシカ、それはちょっと無謀だ。メーヴェで行くには距離がありすぎるし、いくらアユト達の国だとは言え、一人では…」
    チヤルカの言葉を遮ってタリスが発言する。
    「私はナウシカ殿に賛成ですね。確かにちょっと危険ではありますが、先に我々が戻って上手く準備を進めることが出来れば、ニッポン軍の攻撃に呼応して内部から敵を攪乱することも出来ます。そうすれば戦局は我々に大分有利になるでしょう。今は一刻でも惜しいときです。ナウシカ殿には悪いが、多少の危険は仕方ないでしょう。メーヴェに乗れるのも念話が出来るのもナウシカ殿だけですしな」
    「私なら大丈夫よ。アユトとの約束もあるし」
    そう言いながらナウシカはアユトを見た。
    「約束?ああ、教祖様に…会ってくれるのかい?」
    「ええ、もちろん」
    「そうか。ありがとう。さっきのことで怒ってるかと思ったよ。
    …ナウシカ、メーヴェは二人乗りできるのかい?」
    「ええ、出来ないことはないけど」
    「じゃあ俺はナウシカと一緒に行こう。そうすれば危険も大分減るでしょう。駐屯地まではチェンを同行させます」
    「アユト、ちょっと待って…」
    「あ、俺が一緒じゃ迷惑?それともやっぱり二人乗りだときつい?」
    「え…そう言う訳じゃないけど…でも‥」
    「じゃあ決まりだな。出発は明朝の日の出前。みなさんそれで良いですか?」
    一同が頷いたのを確認してアユトはもう一度ナウシカの方を見て返事を待った。
    「しょうがないわね…でも、メーヴェは慣れてないと乗っているだけでも結構疲れるわよ?」
    「それくらいどうってことないさ。じゃあ、皆さんは明日に備えて寝てください。私とチェンで修理はやっておきますから」
    「よーし、今夜は徹夜で修理だ!」
    チェンは立ち上がると携帯食料パックのストローをくわえて、一気に中身を吸い込んだ。
    「ゲホッ!ゲホッ!」
    「ハハハ、あんまり無理するなよ」

  6. 要請

     地表を覆う朝靄(あさもや)に水平線からようやく顔を出した太陽が目映い光を降り注いでいる。
    その靄の中からメーヴェに乗ったナウシカが慎重に頭を覗かせる。
    ナウシカは絶妙にメーヴェを操り、機体を靄の中に隠したまましばらく旋回し辺りの様子を窺った。
    「どうだ?ナウシカ」
    「…大丈夫みたい。何もいないわ」
    「じゃあみんなに合図するよ」
    そう言うとナウシカの下で靄に包まれながらメーヴェに張り付いているアユトは手に持った大きめの拳銃のような信号弾のトリガを引いた。
    「パシュッ!」
    発射された信号弾は目映い光を放ちながら弧を描いて落下して行く。
     「お、合図ですな。チェン、クロトワ殿行きますぞ!」
    タリスは開け放たれたシャトルのキャノピーからワイヤーで下にぶら下がっているガンシップに向かって叫んだ。
    靄の中、ガンシップのコックピットで2人が手を振っているのがなんとか見える。
    シャトルはタリスとチヤルカの操作で、ワイヤーにガンシップを吊したまま静かに上昇して行く。
    やがて靄を抜けるとメーヴェが朝日に照らされながらゆっくりと旋回しているのが見えた。
    「エンジン始動します」
    チェンはガンシップの後席でエンジンを始動する。
    「バウッ!…ヒュイィー」
    「出力安定。OKです」
    「よし、じゃあ行くぞ」
    クロトワはそう言うと操縦桿を引きながら、スロットルをゆっくりと動かす。
    ガンシップはその操作に合わせて、ワイヤーに吊されたままゆっくりと加速して行き、やがてワイヤーでシャトルを引っ張るような形になった。
    「チェン!ワイヤーを切り離してくれ!」
    「了解!」
    チェンがレバーを引くと主翼中程に繋がっていた2本のワイヤーが離れた。
    機体は一瞬落下してから直ぐに安定飛行に入った。
    今度はシャトルが曳航用フックに残された1本のワイヤーでガンシップに引っ張られている。
     「どうやら問題ないみたいだな。じゃあ行こうか」
    「ええ」
    ナウシカは見慣れたガンシップに向かって手を振ってから、メーヴェの操縦把を握りなおして一気に加速した。
    ガンシップも青白い炎を曳いて加速して行く。
    朝靄の上に長い影を映す2つの機体は、各々の向かうべき場所へと遠ざかって行った。

     「馬鹿者!あれほど言ったのに何をやってるんだ!」
    「申し訳ございません」
    「半分以上の戦力を失った上に人質全員行方不明とは…これ以上ないくらいの最悪な失態だぞ!解っているのか!?」
    「言い訳は申しません。処分は覚悟の上です」
    「お前を処分したところで何も解決せん!考えろ!どうすればあの肉塊をごまかせる?」
    「大統領閣下のことですか?…なら嘘をついても無駄です。閣下のスキャンを受ければすぐにばれてしまいます。誤魔化しようは無いのではないかと」
    「では退役覚悟で謝るとでも言うのか?私はあの肉塊の一部になるのなんてゴメンだぞ」
    「しかし…」
    「しかしではない!お前も何か策を考えろ!」
    そう言うとフィリップは腕を組んで目を閉じた。
    口元は何かをブツブツと呟いている。
     マイケルはそんな上官を見ながら半ば呆れていた。
    自分は自分の犯した失敗の責任はとるつもりだ。
    それが軍人としての最低限の姿勢だと思っている。
    それなのにフィリップのこの態度はなんなのだ?
    まるっきり我が身の保身しか考えていないようだ。
    挙げ句の果てには最高司令官である大統領閣下のことを「肉塊」呼ばわりだ。
    「(副官として司令官の解任もやむを得ないか?…しかし、今そんなことをしても私が自分の失敗を上官になすりつけているようにしか見えないか…)」
     マイケルがそんなことを考えているうちに、フィリップは窓辺に移動していた。
    フィリップが眺める窓の外にはシュワの城下町が見える。
    そして、その上には巨大な空母と、被弾の跡が生々しく残る駆逐艦数隻が音もなく浮かび、大きな影を落としている。
    「これしかないか…」
    フィリップはそう呟くと振り返ってマイケルに言った。
    「今回の作戦に与えられた猶予は後どれくらいだ?」
    「あ、はい。およそ1ヶ月半です」
    「では、その間にできる限り兵力を増強して我々単独で切り崩しにかかるぞ」
    「え?切り崩しと言うと…本国に連絡しないで西側からニッポン軍に攻勢をかけるということですか?」
    「そうだ。お前の不手際でニッポン軍の西側警戒も強まっているだろうが、奴らの主力は東側の前線に集中している。そう簡単に軍を移動することも出来ないだろうから、早急に準備を整えて攻勢を掛ければ奴らを一網打尽に出来るかもしれん」
    「ですが、残された兵力では…」
    「だから増強すると言っているのだ!本国と違って人手と資源は充分にあるのだ。我々の技術をここの奴らに指導して、装備を与えれば捨て駒には事欠かないぞ」
    「しかし、やはり本国の了解を得るべきかと…」
    「そんなことしていたら不手際が露呈するのがオチだ!解ったな。これは命令だ」
    「…了解しました。では早速実行に移ります」

     「おいチェン!本当にこの辺なのか?」
    「はい!そのはずなんですが、駐屯地は砂嵐を避けるために移動するんで…もうちょっと探してみましょう!」
    「そうは言ってももう日が暮れるぞ!」
    「ええ解っています!あの山を越えても見つからなかったら諦めて夜営しましょう!」
    「解った!…ん?おい!右前方を見てみろ!あれ建物じゃないか?」
    「え?ちょっと待ってください!」
    チェンは言われた方向に双眼鏡を向けた。
    「…村みたいですね!とりあえず降りてみましょう!駐屯地のことを知ってる人がいるかもしれません!」
    「了解!じゃあ着陸するぞ!」
     ガンシップは高度を下げ、やがて村の外れに砂を巻き上げながら着陸した。
    「なんか静かだな。廃墟じゃないのか?」
    「うーんどうですかね。とりあえず調査してきましょう。クロトワさんは何かあったときに備えてこのまま待機していてください」
    「いや一人じゃ危険だろ。俺も一緒に行こう。留守番はシャトルの2人に頼んでおけば大丈夫だろう。一応武器もついていることだし」
    「そうですか?じゃあそうしましょうか」
    ちょうどそこにタリスがシャトルのキャノピーを開けて顔を出した。
    「タリスさん!私たちは村を見てきます!何かあったら信号弾を撃ちますから離陸して待機してください!」
    「解った!気を付けて行くんだぞ!」
     チェンとクロトワは慎重に村の目抜き通り−と言っても人っ子1人いないが−を歩きながら左右に立ち並ぶ石造りの家々の中を覗き込んでいた。
    しかし、家の中は砂まみれで、人はおろか家具も見えないような有様だった。
    「どこの家も砂だらけだぞ。やっぱり廃墟だな」
    「そうみたいですね。じゃあとりあえず諦めて夜営できそうな建物を探しましょうか」
    「ああ、そうだな…あそこに見える建物ならよさそうかもしれないぞ」
    クロトワが指さす通りの突き当たりには岩山のような建物のような、どちらにもとれるようなものが見える。
    「あれ建物ですか?ただの岩山だと思ってましたよ。とりあえず行ってみましょうか」
    2人は小走りに通りを走り抜け、建物の入り口まで来た。
    近くまで来てみると建物の玄関と言うよりも単なる洞窟のようである。
    「こりゃあただの洞窟か?」
    「いやでも床は平らですよ。岩山をそのまま利用して作った建物なんじゃないですかね。倉庫とかかもしれませんが」
    「まあ、どっちにしても、あんな砂だらけの家じゃおちおち寝てられねえしな。とりあえず中を調べてみよう」
    そう言うとクロトワはチェンの背中のリュックサックからランプを出した。
    「あ、すいません。でも2人で中に入っちゃうといざというときに信号弾が撃てません。とりあえず自分一人で見てきますから、クロトワさんはここで待機していてください」
    「そうか?無理するなよ。危険を感じたら直ぐに大声で知らせるんだぞ」
    「解りました。じゃあ行ってきます」
    チェンは信号弾をクロトワに渡し、代わりにランプを受け取るとゆっくりと中に入って行った。

     「もう日が暮れるわ。どこかで夜営しないと。降りられそうなところはある?」
    「ああ。あそこに山みたいなのが見えるだろ。あっちに向かってくれ」
    メーヴェの進行方向には、腐海から頭を出した綺麗な円錐状の山のようなものが見える。
    「あの山の上で夜営するの?」
    「いや、山みたいに見えるけどあそこはアーリータワーと言って一応街なんだ。俺の故郷なんだけど…あんまり帰りたくはないんだけどね…」
    アユトは気乗りしないような感じでそう言った。
    「…故郷なんでしょ?」
    「…まあ行けば解るよ」
    アユトは無愛想にそれだけ言うと黙り込んでしまった。
    ナウシカは視線をそんなアユトから前方のアーリータワーに戻して、メーヴェのエンジンを吹かした。
     タワーに近づくとその大きさは想像以上だった。
    それは自然の山ではなく、明らかに人工的に作られた建造物のようだが、本当にこれが人工物なのかと思うほどの大きさで、感覚的にはやはり山に近い。
    おそらく火の七日間の前に作られた物だろうこと位はナウシカにも容易に想像がついた。
    「大きいわね…火の七日間の前に出来た物なの?」
    「ああ、詳しくは知らないがそうだと聞いている。このまま頂上まで行けるか?」
    「ええ、大丈夫」
    ナウシカは再びエンジンを吹かし、メーヴェは斜面を這い上がる上昇気流に乗って軽々と頂上に到達した。
    頂上は直径1〜2キロの円盤状になっていて、中央に赤い光の点滅する塔がある。
    アユトはいつの間にか用意していたライトでチカチカと塔に向かって発光信号を送っている。
    アユトの信号に呼応して塔でも光が点滅した。
    「着陸許可が出た。あの塔の近くに下ろしてくれ。所々に穴があいてるから気を付けて」
    ナウシカがメーヴェの高度を落とすとアユトの言うように随所に穴があいているのが見えた。
    穴の周囲は金属が捲れ上がっていたりして、明らかに戦闘の痕跡のようだ。
    「(そんなに古い跡ではないみたいね…)」
    つい最近の物という訳ではなさそうだが、それほど大昔の物というわけでもなさそうに見える。
     やがて、メーヴェが塔の直ぐそばに静かに降りると、数人の兵士が小走りに近寄って来た。
    アユト達と同じような軍服を着ているところからして、おそらくニッポン軍の兵士だろう。
    「私は遊撃隊のアユト軍曹だ。緊急事態で本隊を離れ基地に向かう途中なのだが、日没で飛行困難になったため一晩夜営させて欲しい」
    アユトはそう言いながら身分証を兵士の一人に渡した。
    兵士は身分証を注意深く確認してからそれをアユトに返すと敬礼した。
    「ご苦労様です軍曹殿。そちらの女性は?」
    「異国の使者だ。ちょっと話が大きいから細かいことは君には話せないが、安全は私が保証するよ」
    「…そうですか。解りました。ではお部屋を用意させていただきます」
    「いや、その必要はない。私はここの出身だから自分の家に泊まるよ」
    「あ、そうなんですか。では中にお入り下さい」
    「ナウシカ、行こう」
    アユトはそう言いながら歩き出した。
    ナウシカもそれについて行く。
    「船はあるか?」
    歩きながらアユトは兵士に聞いた。
    「いえ、軍曹殿もお解りだと思いますが、師団の台所事情も色々厳しいので…」
    「やはりそうか…
    あ、ここまでで良い。ありがとう。仕事に戻ってくれ」
    エレベータホールまで来るとアユトはそう言って敬礼し、エレベータに乗り込んだ。
    ボタンを押すと静かに扉が閉まって行く。
    「下の警備兵には伝えておきますので」
    扉が閉まりきるとエレベータは下降を始めた。
    「ここは戦前からある建物なんだ。まあ建物と言っても山みたいな物で高さは千メートル以上もある。全部で20の層になっていて、それぞれ木も生えているし家も建っている」
    「すごいのね。建物の中に街があるなんて」
    「ああ。戦前の技術はまるで魔法みたいだよ。ここは火の七日間の戦火からもその後の大洪水からも免れて機能的にはほとんど当時のままなんだ。動力炉もまだちゃんと稼働していてそのおかげでこのエレベータも動かせるというわけさ。でも下の方は腐海に侵食されてしまっていて、今は上2層だけしか人は住めないけどな。で、一番上の層は軍が使用していて、その下が一般住民の居住区になっているんだ」
    「大洪水って?」
    「エフタルには記録が残ってないのかい?何故かは知らないけど、ニッポン本土を含めてこの辺は火の七日間の戦火からは逃れられたんだ。
    でもその後、世界を飲み込んでしまうような大洪水が大津波と共に発生して、結局文明は滅んだんだよ。ここは高地にあってさらにこの高さだから洪水の被害もなんとか免れたって訳さ」
    「戦争だけじゃなかったのね…
    そう言えば頂上の船着き場の穴…あれ戦闘の跡でしょ?それも余り古くない…」
    「ああ。あれは俺が子供の頃の戦闘で出来た穴だよ。それまでここは戦前の技術を使って自治を貫いてきたんだけど、ニッポン軍と戦闘になって占領されたんだ…
    いくら戦前の技術があると言っても別に軍事基地だったわけじゃないからね。軍隊に総攻撃されれば脆いものさ」
    「そうなの?じゃあ…」
    ナウシカがそこまで言ったときベルが鳴って、エレベータの扉が開いた。
    「さあ着いた。話の続きはまた後で」
    アユトはそう言うと先にエレベータから降りて、傍らに立っていた兵士に敬礼した。
    ナウシカもアユトに続いてエレベータから降りる。
    先ほどの兵士が言っていたように歩哨には話が通っているようで二人はすんなりと歩哨を通り抜けることが出来た。
    エレベータホールからは放射状に通路が延びていて、通路脇の手すりから顔を出すとそこには巨大な穴が遙か下の方まで延びていた。
    穴には所々夕日が射し込んでいて、下の方には瘴気と胞子の霞が渦巻いているのが解る。
    「(すごい瘴気の渦だわ…これじゃ病にかかる人も多いでしょうに)」
    「ナウシカ、こっちだ」
    アユトは通路の中央にある箱状の乗り物の前でナウシカを呼んだ。
     二人が乗り込みアユトがボタンを押すと、その乗り物は静かに動き始める。
    「居住区の層はドーナツ状になっているんだ。下の層にも日が当たるようにね。この層で通路を歩くと街まで15分くらいかかるかな」
    「昔の人は歩くのが嫌いだったのね。それくらいの距離でもこんな乗り物を作ったなんて」
    「戦前の技術ならこれくらいわけなく作れたんだろう。それにこの通路を渡ってからも今度は横に移動しなきゃならないから全部歩いたら結構時間がかかるよ。まあ馬や牛を使うよりもこういった乗り物を作った方が楽だったんじゃないか」
     やがて窓の外には石造りの四角いビルが見えるようになってきた。
    崩れ掛けたビルに不格好に増築された建物もある。
    「みんな戦前の建物を騙し騙し使ってるんだよ。勝手に崩れては来るけど今の技術じゃ完全に取り壊して新しく建て直すことが出来ないんだ」
    そんな話をしているうちに乗り物が停止した。
    「さあ着いた。後はちょっと歩くだけだ」
    乗物から降りてしばらく歩き、2人は一つのビルに入った。
    入り口を入って直ぐのところはロビーになっていて、奥の方に階段があるのが見える。
    そこには酒瓶を手に持った男が、赤い顔で座り込んでいた。
    「イヤなヤツに会っちまったな…」
    アユトは小さく呟いて、うつむき加減に早足で男の脇を通り過ぎようとした。
    「あ!おめぇアユトだな!」
    しかし、男は階段を塞ぐように立ち上がるとアユトに絡んできた。
    「…久しぶりだな。でも、お前に会いに来た訳じゃないんだ。通してくれ」
    男は脇を通り過ぎようとするアユトの胸ぐらを掴んで、赤らんだ顔を近づける。
    「なんだと!テメェ…ん?」
    その時、男はアユトの肩にある3つの星にふと気がついた。
    「ほう…軍曹殿になったのか。ずいぶん偉くなったじゃねぇか。それでお前の言う“新天地”とやらは見つかったのか?」
    「見つかるも何も、そのために合衆国と戦っていることくらいはお前だって解っているだろう?いい加減、酒に逃げていないで現実と向き合ったらどうなんだ?」
    「なに生意気なこと言ってやがんだ!ニッポン軍に尻尾ふりやがって!
    誰のせいで戦争になったと思ってやがるんだ!?犬だって一宿一飯の恩は忘れないと言うのにお前は犬以下かよ?」
    「うるさい!」
    アユトが男の腕を振りほどくと、男はよろけてそのままロビーの床に倒れてしまった。
    「お前こそ昼真っから酒ばっかり呑んで、なにやってるんだよ!現実逃避したって何にもならないだろうが!
    …俺だってここの人たちには悪いと思っているさ。でも、今更ニッポン軍に逆らったってどうにもならないんだよ!ならばニッポン軍に協力して、新天地を開拓した方が良いと思わないのか?腐海の侵食に怯えなきゃならないこんなところに固執するよりも、その方がよっぽど良いじゃないか!」
    「おめぇはどうせここの人間じゃないからな。そりゃあ用が済めばこんなところにこだわる必要もないだろうよ!」
    男はそう言いながら立ち上がろうとするが、酔いが回って上手く立ち上がることが出来ない。
    「そんなことはない!俺は物心ついたときからここに住んでいるんだ。お前と同じようにここを故郷だと思っているさ」
    男はようやく立ち上がるが、再びバランスを崩して座り込んでしまった。
    それを見たアユトは少し悲しそうな表情を浮かべると、男に背を向けて階段を登り始めた。
    「行こう。ナウシカ」
    ナウシカも男の方を振り返りながらアユトに続く。
    「待て!逃げるのかよ!まだ話は終わってねぇぞ…」
    男の声を後目にアユトは足早に階段を登って行く。
    「あの人、放っておいて大丈夫?かなり酔っていたみたいだけど」
    「大丈夫だろう。ヤワなヤツではなかったから。
    ‥あいつとは幼なじみだったんだ。けど、戦争に負けてからひねくれちまってね。大人になってからは酒ばかりでまともに働きもしない。ここに帰ってくるのも久しぶりだけど、まだ変わってないみたいだ…」
    「何か複雑な事情があるみたいね…」
     外はすっかり暗くなり、階段や廊下には自動的に灯りが灯り始めた。
    その青白い人工的な光の中にある、一つの扉の前でアユトは立ち止まった。
    「コンコン」
    ドアをノックすると中から中年女性の声が問いかけた。
    「どなた?」
    「おばさん久しぶり。アユトです」
    「え?坊ちゃん?」
    その声と同時にドアがガチャリと開いた。
    中では小太りの中年女性が、目をまん丸に見開いて立っている。
    「ただいま」
    「まあ…坊ちゃん…立派になって…」
    女性はエプロンで涙を拭っている。
    「おばさんは大げさなんだから。でも元気そうで何よりだよ。
    母さんも変わりないかい?」
    「…いえ、坊ちゃんが出ていかれた頃より少し悪くなりまして、今はもう歩けません」
    「そうか…ずいぶん長いこと帰らなかったからな…」
    「そうですよ。もうちょっと親孝行してあげて下さいな。
    今から夕食を準備しますから、奥様にもお顔をお見せなって下さい。そうすれば…」
    女性はそこで初めてアユトの後ろにいるナウシカに気付いたようだ。
    アユトもハッとしてナウシカを紹介した。
    「あ、紹介するのを忘れていたよ。この人はエフタルの人でナウシカと言うんだ。命の恩人だよ」
    「始めまして。私は坊ちゃんの母上様のお世話をさせていただいている、シズコと言います」
    そう言いながらシズコと名乗った女性はお辞儀をした。
    が、ハッとして
    「あらやだ。そう言えば言葉通じないわよね?」
    と言いながらアユトの方を見る。
    「ハハハ、大丈夫だよ。彼女は念話の達人なんだ。だからちゃんと通じているよ。
    だろ?ナウシカ」
    『ええ。始めまして。ナウシカと言います。エフタルにある風の谷という国から来ました』
    「まあ!ずいぶんお上手な念話ね。それにべっぴんさんだし。サクラお嬢様が生きていればきっと…」
    そこまで言ってシズコは「しまった」というような表情でアユトを見た。
    アユトはどことなく悲しそうな表情を浮かべている。
    「あ、坊ちゃんごめんなさい…私はいつも一言多いのよね…
    ええと‥夕食だったわね。今準備をしますから、坊ちゃんとナウシカさんは奥で休んでいてくださいな」
    そう言ってシズコは部屋の奥の方へと小走りで去っていった。
    「サクラというのは妹なんだ。生きていれば18歳になるかな。戦争の時にニッポン軍に連れて行かれてそれっきり行方不明だ」
    「そう…」
    「ここにつれてきた以上、その辺の経緯は後で説明するよ」
    「辛いなら別に無理に話してくれなくても…」
    「いや。何となく君には隠し事はしておきたくないんだ。母も紹介するよ。付いてきてくれ」
    そう言ってアユトは奥の部屋へと続く廊下を歩いていった。
    ナウシカもそれに続く。
     月明かりが窓から差し込む部屋で、アユトの母はベッドに横になっていた。
    どうやら眠っているようだ。
    「母さんただいま。アユトです」
    アユトはベッド脇に跪いて静かな口調で語りかける。
    するとアユトの母も目を覚ましたようで、アユトの方に顔を向け瞼(まぶた)を開いた。
    「あらお父さん、お帰りなさい。今日は早いのね。
    ごめんなさいね。足の調子が悪くて、今日の食事はシズコに頼んでしまったわ」
    そう言いながら上体を起こそうとする母をアユトは静止した。
    「寝ていた方が良いよ。今日はお客さんを連れてきたんだ」
    そう言ってアユトがナウシカを紹介しようとしたその時。アユトの母はガバッと起きあがると
    「サクラ!?サクラなの?」
    と叫んだ。
    「母さん落ち着いて!彼女はサクラじゃないよ!」
    アユトの母はしばしナウシカの顔を見つめ、彼女がサクラでないと解ると再びベッドに横になり、瞼を閉じてしまった。
    「…寝ちゃったみたいだ。ゴメン。びっくりしただろ」
    「いいえ。大丈夫よ」
    「ずっとこんな調子でね。いくら暗いとは言っても君を妹と間違えたのは意外だったけど、多分年頃の女性をほとんど見ないから混乱しただけだろう。
    …こんな母を見るのはイヤになるよ」
    「そんなこと言っちゃいけないわ」
    「…ああ、そうだな。そろそろ食事の支度が出来る頃かな。行こうか」
    そう言ってアユトは先に部屋を出た。
    ナウシカは部屋の入り口でふと振り返り、ベッドに寝ているアユトの母をしばし見つめた。
    「…」
    「どうした?」
    「…何でもないわ。行きましょう」

     「全く!何やってんだあいつは。オーイ!チェン!聞こえるかー!」
    「……」
    洞窟のような通路の奥からは自分の声がこだまして聞こえるばかりで、チェンの返事はない。
    外はもうすっかり暗くなり、月明かりでなんとか手元が見える程度だ。
    「中で迷ってるのか?しょうがないちょっと入って見るか…」
    クロトワはそう呟くと信号弾を握り直して、通路の中におそるおそる入って行った。
     少し行くと、足下の床が急に下り坂になった。
    結構な傾斜な上に砂が降り積もっているため、クロトワは足を滑らせて転びそうになった。
    「おっと!危ねぇ危ねぇ」
    坂の先にはもう月明かりも届かず、完全に真っ暗で何も見えない。
    「この先は灯りがないと行けねえな。オーイ!チェン!聞こえないのかー!」
    「……」
    やはり返事はない。
    「もしかしてここから滑り落ちたのか?やばいな…とりあえず灯りを取ってこないとなんともならねえか…」
    そう呟きながら、出口の方を振り返るクロトワ。
     と、そこにはいつの間にか大きな人影が立ちはだかっている。
    クロトワは咄嗟に持っていた信号弾を構えたが、それよりも一瞬早く鳩尾(みぞおち)に衝撃が走る。
    「グハッ!」
    悶絶して後ずさりすると、そこには先ほどの下り坂。
    「うわあぁぁ!」
    クロトワはバランスを崩してそのまま坂を滑り落ちて行った。

     「‥ですか。クロトワさん」
    「…う‥うーん‥テテ…」
    「気が付いたみたいですね。大丈夫ですか?」
    クロトワは体中の痛みに顔を歪めながらゆっくりと瞼(まぶた)を開けた。
    ぼやける視界に、岩をくり抜いたような殺風景な部屋−と言うより牢獄に近い−と、天井から吊されて静かに揺れているランプが一つ見えてくる。
    クロトワは混乱する頭で声の主を考えた。そう、チェンだ。
    「チェン無事だったか!」
    そう言いながら声のした後ろを向こうとしたが、体は思うように振り向かなかった。
    腕が柱に縛り付けられているのだ。
    良く見れば足も縛ってある。
    「クソッ!これじゃ手も足もでねぇな」
    「良かった。体の方は大丈夫そうですね」
    「ああ、なんとかな。お前の方は?」
    「私も大丈夫です。しかし、まずいことになりましたね‥」
    「ヤツは何者だ?お前を捜しに通路に入ったら急に殴り倒されて、坂道を転げたところまでは何とか覚えているんだが‥」
    「私はこの部屋に入ったところで急に襲われました。現地人のようでしたが」
    「ここの現地人はニッポン軍に協力的じゃないのか?」
    「いや、私もこの辺の実状は良く知らないんです。実際に来るのは初めてですし、軍内の情報では駐屯地があることくらいしか解りませんから」
    「どうにかして外の二人に知らせないとな」
    「直ぐ殺されなかったところからすると、殺すつもりはないでしょう。何とか隙を見て逃げるしかなさそうですね」
    「隙って言ったってこれじゃあな。それにもし外の二人が様子を見に来たら雁首揃えて捕まっちまうかもしれねぇし」
     そんな話をしていると、壁の一部が開いて数人の男達が入ってきた。
    体格からしておそらくクロトワを悶絶させたであろう男もいた。
    「***********!」
    「*******!」
    男達は二人に向かって何か叫んでいるが、二人ともさっぱり理解できない言葉だった。
    「チェン、何言っているか解るか?」
    「いえ、私にも…」
    「*******!」
    一人の男は苛ついた表情で剣を抜くと、クロトワの鼻先にちらつかせた。
    「危ねえな!何言っているか解らねえって!」
    クロトワの反抗的な態度が気に障ったのか、男は剣を振りかぶる。
    「****、******」
    「ちょ‥ちょっと待て!早まるなって!言葉が解らないんだからどうしようも‥」
    男は慌てるクロトワの言葉には耳も傾けず、一気にクロトワの頭めがけて剣を振り下ろした。
    「ザクッ!」
    鈍い音と共にクロトワの髪がハラリと地面に落ちる。
    「クロトワさん!」
    クロトワが恐る恐る目を開けると、剣は頭ぎりぎりのところで柱に刺さって止まっていた。
    「…お‥おい、悪い冗談だぜ‥」
     その時、男達の後ろから聞き覚えのある声で、二人に理解できる言葉が発せられた。
    「どうやら密偵ではないようだな」
    「…この声‥」
    男達が左右に退き道を空けると、そこには茶色いマントにつばの広い帽子を深々とかぶり白いひげを蓄えた初老の男性が立っていた。
    「ユ、ユパ殿か!?」
    「クロトワさんの知っている人ですか?」
    「いや、ユパ殿は確かに死んだはず‥」
    クロトワは驚きを隠せない。
    「ほう‥ユパを知っているのか?なら服装からして、トルメキアの軍人か?」
    「あ‥ああ、トルメキア軍総司令官クロトワ大将だ。そなたは?ユパ殿と、うり二つだが‥」
    「私のことを答える前に、そっちの片割れの事も教えて貰おうか。ニッポン軍の軍服のようだが‥」
    「私はニッポン軍遊撃隊西部方面隊のチェン上等兵です」
    「やはりニッポン軍か。なぜトルメキアの人間とニッポン軍の人間が行動を共にしている?」
    「詳しく話せば長くなりますが、合衆国に侵略されたエフタルから捕虜として連行される途中だった彼らを我らが救出したのです。しかし、合衆国の反撃で隊が壊滅してしまいまして、我々はここの駐屯地を経由してエフタルに渡るつもりでした」
    「なに?合衆国だと‥それは本当か?」
    「嘘をついてどうする!それより我らの疑いが晴れたのならさっさと縄を解いて貰いたいのだが」
    ユパに似た男が周りの男達に何か指示を出すと、取り巻きの男達はクロトワとチェンの縄をナイフで切った。
    「さすがにまだ武器を返すわけには行かぬが。詳しい話を聞かせて貰いたい」
    「いくらでも話すが、その前にそなたの事を聞かせて貰いたい」
    「‥良いだろう。私はユナ・ミラルダ。ユパの兄だ」

     「ほんとに良いんですか?」
    「ああ、たまにはゆっくり休んでよ」
    「じゃあ、お言葉に甘えて先に休ませて貰いますね。お風呂も沸かしておきましたから、ナウシカさんも良かったら入ってくださいね」
    『ええ、そうさせて貰うわ。ありがとう』
    「それじゃあ…坊ちゃん頑張ってくださいよ!」
    シズコは最後に悪戯っぽい笑顔を見せると、アユトの肩をポンと叩いて奥の部屋に去っていった。
    「が、頑張るってなんだよ!‥まったく」
    アユトは顔を真っ赤にしている。
    「ゴメンな。まったく、おばさん変なこと言って…」
    ナウシカは笑って首を横に振った。
    「さあ、食べましょう。せっかくのお料理が冷めてしまうわ」
    「ああ、そうだな」
    二人はテーブルの上に載った、けして豪勢とは言えない料理を食べ始めた。
    「こんな料理しか出せなくて悪い。ニッポン軍の統治下に入ってからは軍への上納でここも貧しくなってね。もっとも戦争前は子供の頃のことだから、そんなに良くは覚えてないんだけどな」
    「…そう言えば下で会った人、戦争があなたのせいで起きたようなことを言っていたけど?」
    「…ああ、そうなんだ。正確には俺と言うよりも、俺達家族のせいでね」
    「話たくないことだったら無理しなくても…」
    「いや。さっきも言ったけど君には隠し事はしておきたくないんだよ」
    アユトはそう言うとスプーンを皿の上に置き、椅子を引いてしっかりと座り直した。
    「俺達家族は元々ニッポンの出身なんだ。親父は将軍だったらしい。
    でも、何があったのか知らないけど、ある日親父はお袋と幼い俺を連れて軍から脱走したんだ。
    そしてここに辿り着き、ここの住人として暮らすようになった。
    妹も生まれてね。この頃は幸せだったのを覚えているよ」
    アユトは昔を懐かしむように少し目を閉じてから再び話し出した。
    「そして、忘れもしないあの日がやってきたんだ。
    その日、俺が妹とロビーで遊んでいると、急に地響きがした。慌てて窓から外を見ると、空が燃えて火の玉が降ってきていた。サイレンが鳴り、男達はみな慌てて武器を持つと外に飛び出して行った…」

     「何なんだ!」
    「ニッポン軍の奇襲攻撃だ!急げ!」
    数人の男達が大きな声でそう話しながらロビーを駆け抜ける。
    「ズズーン」
    再び地響きがして天井からはパラパラと埃が落ちてきた。
    アユトが階段の方を見ると、ちょうど父が駆け下りてきた所だった。
    「父さん!」
    アユトはサクラの手を引いて父の方に駆け寄る。
    「アユト!ここは危ない!サクラを連れて部屋に戻っていなさい!」
    「父さんは?」
    「父さんは戦いに行かないとならない」
    「僕も一緒に戦うよ!」
    「何言ってるんだ!これは遊びじゃないんだぞ!」
    「僕だって鉄砲くらい撃てるよ!」
    父はアユトを睨むような目で見つめるが、アユトは視線を逸らさない。
    「…よし、解った。アユトを一人の男として頼もう。
    お前は父さんの代わりにサクラと母さんを守るんだ。良いな。これも立派な男の仕事だぞ」
    父は懐から拳銃を出してアユトに握らせた。
    アユトはズシリとした拳銃の重みを感じながら静かに頷いた。
    「撃ち方は解るな。さあ!早く部屋に戻れ!気を付けるんだぞ!」
    父はそれだけ言うと走って外に出て行った。
    「父さんも気を付けてね!」
    アユトは遠ざかる父の背中をしばし見つめると、拳銃をズボンのウェストに突っ込み、サクラの手を引いて階段を登って行った。
     「どうやら収まったようですね。奥様」
    部屋の中ではアユトとサクラ、そして母とシズコがかたまって座っている。
    戦闘は短時間で収束したようで、アユトが父と別れてから1時間もすると外はすっかり静かになっていた。
    「ええ、そうみたいね。みんな無事だと良いけど…」
    「大丈夫ですよ。ニッポン軍の小隊や中隊くらいならここの武器には敵いませんって。それに旦那様だって居るんですから」
    サクラは無邪気に人形で遊んでいるが、アユトは少し不服そうな顔で父から授かった拳銃を見つめていた。
    「チェッ…結局僕は子供扱いなんじゃないか…」
    そのとき、
    「ドンドン!」
    と扉を叩く音が部屋に響き渡る。
    「ほら、旦那様のお帰りですよ」
    シズコはそう言いながら小走りで玄関に向かって行き、外を確かめもせずにドアの鍵を開けようとしている。
    「シズコ!一応確かめ…」
    「バン!」
    シズコが鍵を開けた途端にドアが勢いよく開かれ、小銃を構えた軍人がわらわらとなだれ込んで来た。
    「キャア!」
    シズコは先頭の兵士に銃床で殴られてその場に倒れ込んでしまった。
    やがて銃を構えて母子3人を取り囲む兵士達の後ろから、立派な僧衣を着た人物が手錠を掛けられた父を伴って部屋に入ってきた。
    「父さん!」
    「阿闍梨(アザリ)!」
    「お久しぶりですな姫君。お目にかかれて光栄です。自ら出向いた甲斐がありましたよ」
    「何の用です!私はもう貴方達とは関係のないただの女です!」
    「そうも行かんのですよ。将軍と貴女が例の物を持ち出したことは解っているのです。こんな所に逃げ込んでいるとは…いや、探すのに苦労しましたよ」
    阿闍梨は薄ら笑いを浮かべて近づいて来た。
    「先ほど将軍閣下にお目に掛かってから、彼には何度もお聞きしたのですがね…彼は口が堅くてね。さすが叩き上げの軍人ですよ」
    「何のことか解りません!私たちは教団とは縁を切って静かに暮らしたいだけなのです。どうかこのまま帰ってください」
    「あくまでしらを切るおつもりですか?私も手荒なことはしたくないのですが…」
    阿闍梨はそう言うと母の手からサクラを奪い取り、小刀を抜いた。
    「イヤー!ママー!」
    サクラは阿闍梨の腕のなかで泣き叫んで暴れている。
    「サクラ!何をするのです!」
    「子供を切り刻むって言うのは、ちょっと私の趣味ではないのですがね…」
    「貴様!なんて卑怯な手を…」
    父も暴れているが、手錠を掛けられて兵士2人に抑えられていてはどうにもならない。
    「さあ、どうしますか?」
    しばしの沈黙。
    「解りま…」
    母が口を開いた瞬間、それを遮るようにアユトが立ち上がった。
    「サクラと父さんを離せ!」
    そう叫ぶと、アユトはズボンから拳銃を取り出し阿闍梨に向けて構えた。
    「ダメよ!アユト!」
    「アユト!よせ!」
    父と母の制止の声はアユトの耳には届いていない。
    「ほう。凛々しいお子さんだ。さすが将軍の長男ですな。でも子供のおもちゃにしてはちょっと危ない。こちらに渡しなさい」
    阿闍梨が拳銃に手を伸ばそうとすると、アユトは一歩下がって激鉄を起こした。
    「僕だって鉄砲くらい撃てるんだ!早く父さんとサクラを離せ!本当に撃つぞ!」
    「これは参ったね…」
    阿闍梨はそう言いながら後ずさると、横の兵士に目配せをした。
    その兵士は、他の兵士の後ろに隠れるように移動すると隙間から小銃をアユトに向ける。
    「やめてー!」
    それに気付いた母は叫びながら慌ててアユトを抱き寄せようとする。
    が、
    「パン!パン!」
    母の悲鳴をうち消すように数発の銃声が響き渡った。
    そして、床を真っ赤に染めて行く鮮血。
    「父さん!」
    「あなた!」
     床を染めているのは、アユトではなく、アユトに覆い被さるように倒れている父だった。
    「馬鹿者!何をやっているんだ!将軍を殺してしまったら何にもならんじゃないか!早く救護班を呼んでこい!」
    アユトは瀕死の父の頭を膝で抱えて泣いている。
    「父さん‥死んじゃやだよ…」
    父は最後の力を振り絞って、アユトの頬から涙を拭う。
    「アユト…泣くな。お前は立派な戦士‥だったぞ。
    これから母さんとサクラを頼む‥父さんの‥代わり‥だ」
    父はそう言うとがっくりと崩れ落ちた。
    「父さーん!」
    「死んでしまったか。仕方ないな…
    お嘆きの所申し訳ないが、やはり姫君にしゃべって頂くしかないようですね。この上息子や娘まで失いたくはないでしょう」
    阿闍梨がそう言うと兵士達の銃口は父の亡骸に寄り添うアユトに向けられた。
    「ダメー!」
    今まで何が起きたのか理解できず、呆然と父と兄を見つめていたサクラが急に叫んだ。
    「グ、アァァ…」「頭が〜!頭が〜!」
    すると、兵士達は悲鳴を上げ、頭を抱えてその場にうずくまってしまった。
    「こ、これは‥」
    「サクラ!」
    阿闍梨もたじろいでサクラを離した。
     床に降りたサクラは、阿闍梨と兵士達をにらみつけて髪の毛を逆立てている。
    阿闍梨は苦痛に顔をゆがませながらも、両手で印を組んだ。
    そして目を閉じてブツブツと何かの呪文を唱える。
    「喝!」
    「キャアッ!」
    阿闍梨が目を見開いて印を解くと、サクラは何かにはじかれたように倒れ、気絶してしまった。
    母は直ぐにサクラを抱きかかえる。
    のたうち回っていた兵士達もようやく起きあがった。
    「ハァ、ハァ‥危ない所だった。この幼さでこれほどの力を持っているとは…
    しかし、これは拾い物だな」
    そう言うと阿闍梨はにやりと笑った。
    「お前達!いつまでのびているんだ!あの娘を捕らえろ!」
    「やめて!お願い!」
    兵士達は母の腕から無理矢理サクラを奪い取る。
    「私はしばらくここに留まります。気が変わったら、例の物を持ってきてください。娘はそれと引き替えに返しますよ」
    サクラを抱えて去って行く阿闍梨と兵士達。
    「サクラー!」
    母はその場に泣き崩れてしまった。

     「…それ以来、母はあの通りおかしくなってしまってね。阿闍梨も母から“例の物”の在処を聞き出すのは諦めて、サクラを連れて本国に帰ってしまったんだ。
    兵士達が家のなかをぐちゃぐちゃにして探しても見つからなかったし、俺は“例の物”が何なのかすら知らないしな」
    そこまで話すと、アユトは目を閉じてうつむいた。
    「俺にもうちょっと力があればな…今でもしょっちゅう夢に見るよ」
    「…まだ子供だったんでしょ?仕方がないわ。自分を責めないで。
    でも、アユトはそんな目に遭ったのに、ニッポンを恨んでいないの?」
    「恨んでいるさ。阿闍梨に近づいて復讐するため、そしてサクラを探すためにニッポン軍に入ったくらいだ。
    でもな、入ってみると別にニッポン軍の兵士が皆イヤなヤツって訳じゃないことが解ったよ。それに、腐海に脅かされる生活圏を何とかするためには、一丸となって戦わないといけないこともね。
    ニッポン軍には大きく分けて二つの派閥があるんだ。一つは教祖様直属の親衛隊の派閥で、もう一つは摂政である阿闍梨の派閥。
    俺の所属している遊撃隊は親衛隊配下だから教祖派なんだ。だからうまくやれば仇をとることも出来るかもしれない」
    「妹さんのことは?」
    「彼女はあの特殊能力の為に連れて行かれたんだ。だから多分どこかでまだ生きていると思う。
    ニッポン軍には念話とかを訓練する特殊技能訓練学校という所があるんだ。そこには教官として優秀な特殊技能保持者が居て、見込みのある者に念話などを教えたり、特殊任務を遂行したりしている。
    ひょっとしたらそこに居るんじゃないかと思ってね。志願して入校したんだけど、見つけられなかったよ」
    「アユトが念話出来るのはそのためなのね」
    「まあね。あそこは阿闍梨派がメインだから、教祖派の部隊から入校しても最低限の訓練しか受けさせて貰えないんだよ。だから俺の念話はこんなものどまりだし、ゆっくりと妹を捜す時間もなかった」
    「妹さんの事は兎も角として、念話はそれだけ出来れば大したものよ」
    「ハハ、君からそう言って貰えると自信がもてるよ。じゃあ、そろそろ風呂に入って寝ようか。先に入ってくれ。明日も沢山飛ばないといけないからね」

     「…そうか、そんなことが。ナウシカという娘にも会ってみたい物だな」
    「ナウシカびっくりするだろうな。ユパ殿とうり二つだ」
    クロトワ、チェンにチヤルカ、タリスを加えた4人はユナと焚き火を囲んでいた。
    「しかし、ユナ殿。そなたは何故ここに?トルメキア軍は海を越えても追い返されたと聞きましたが‥」
    「最後に送られたトルメキアの使節は私の父が率いていたのだ。我がミラルダ家は一応トルメキアの貴族だったのだよ。代々王家の剣術指南役を任されていたのだ。
    もっとも、トルメキアで人口の減少が深刻化してきた祖父の代からは、腐海の謎を解く為に各地を旅するようになって、政からは距離を置いていたがな。
    そんな経緯から、東方砂漠への使節の話が出たときに白羽の矢が立ったというわけだ。
    ユパはまだ幼かったので同行しなかったが、私はもう剣を取って戦える歳になっていたので父と共に海を渡ったのだ」
    「最後の使節団は攻撃されて引き返したのでは?」
    「本隊はな」
    ユナは目を閉じて少し間を取ってから続けた。
    「我々は海を越えてしばらく飛んだところで村を発見した。
    村人を刺激しないように父と私、それから精鋭数名で先発隊を組んで降りたのだが、そこに砂漠の民が攻撃を仕掛けてきてな。本隊は我々を置き去りにしてさっさと逃げてしまったのだよ」
    「それはひどい…」
    「我々先発隊も当然襲われてな。奮闘したが多勢に無勢。我々親子を残して先発隊は全滅してしまった。
    しかし、父と私はその剣の腕を買われてな。剣術を教える事と引き替えに命を救われたという訳だ」
    「トルメキアに帰ることは許されなかったんで?」
    「いや、自ら留まったのだ。もちろん、最初のうちは軟禁状態だったがね。
    しかし、言葉を覚えて話してみれば気のいい奴らだ。我々を見捨てて逃げてしまうような奴らの所に帰る気にはならなかったのだよ。
    まあ、ユパや母上の事は気にはなったが、東にニッポンや合衆国の存在を知ってしまったのもあってな。人の行く末を占うためにはもっと広い世界を見ねばならん」
    ユナは焚き火に薪を投げ入れると、再び少し間をおいてから口を開いた。
    「しかし、トルメキアがそのような状況になっているのなら、私も力を貸さねばならんところだが…今は忙しくてな。
    …チェンと言ったかな?君には悪いのだが、明日にでもニッポン軍の駐屯地を襲撃する事になっているのだ」
    「え?!駐屯地をですか?なぜです?砂漠の民とは友好関係にあるはずでは…」
    「色々と事情があってな。もうじきある人物がここに来る。そうすれば話せると思うが」
    「そんな…」
    不服そうなチェンの言葉を遮ってクロトワが話し出す。
    先ほどまでとは違ってずいぶんと真剣な表情になっている。
    他の2人も睨むようにユナを凝視している。
    「ちょっと待ってください。俺達は何とかしてトルメキアに帰らないとならないんです。ニッポン軍の協力を仰がないと難しいでしょう。トルメキアの為にもなんとか思いとどまってくれませんか?」
    「話すのが少し早すぎたかな‥。とりあえずさっき言ったようにある人物が来るのを待ってくれ」
    ユナと4人はにらみ合ったまま緊張した空気が張りつめる。
     「ユナ殿、遅くなってすまん」
    その時、一人の老人が扉を開けて入ってきた。
    老人はチェンの軍服の肩にあるマークをちらっと見る。
    「…ふむ、遊撃隊か。なら話しても良いだろう」
    そう言いながら老人はユナに頷いてみせると、マントを脱いだ。
    マントの下からは、チェンの物とよく似た軍服が現れる。
    「その軍服!あ、貴方は…」
    「わしの方が上官じゃぞ。お主から先に名乗るのが礼儀じゃろう」
    「あ、申し訳ございません!」
    チェンは慌てて立ち上がると、直立不動で敬礼をした。
    「自分は遊撃隊西部方面隊所属のチェン上等兵であります!」
    「わしは親衛隊西部分隊司令官のオガサワラ中将じゃ。‥とは言え、この肩書きも今日までじゃがの」
    そう言うとオガサワラはユナの隣に腰を下ろした。
    「オガサワラ中将!お目にかかれて光栄です!しかし、肩書きが今日までとは、どういうことですか?」
    「クーデターを起こすんじゃよ。ここにいるユナ殿と共にな」
    「え?クーデターですか?」
    チェンは信じられないと言う表情で目をパチクリさせている。
    「フォッフォッフォ。親衛隊のそれも司令官がクーデターなんて信じられないという目じゃな」
    「そりゃ…。お言葉ですが、親衛隊しかも名将と言われたオガサワラ中将が教祖様に逆らうなど私には…」
    「いや、教祖様に逆らうなどとは思ってはおらぬ。むしろ教祖様を守るための戦いじゃ」
    「どういうことでしょうか?」
    「お主も知っておろう。今の教団は教祖様ではなく阿闍梨が動かしておる。
    教祖様が幼いからと言う理由でヤツが摂政に付いたのは致し方ないであろうが、もう18になるというのにヤツは摂政を退くどころか、ますます影響力を強めておるのじゃ。
    このままでは何れ先代同様に教祖様の実権は無くなり阿闍梨の言うがままじゃ。まだ教祖様を崇拝しておる軍人が多い、今のうちに事を起こさねばの」
    チェンは呆然としてオガサワラを見つめている。
    「まあ、驚くのも無理はない。とりあえず座りなさい。
    ユナ殿、他の方々にも事情の説明をお願い出来ますかの。直接説明したいところじゃが言葉が通じんことにはのう」
    「解りました」
    ユナはチェン以外の3人に、先ほどオガサワラが話した内容を要約して説明した。
    チェンも一応腰は下ろしたものの、未だに呆然としているようだった。
    「明朝にはここの駐屯地を襲撃する計画じゃ。ちょうど武器商人が来ておるからそれを強制収用すれば武器弾薬はかなり充実するじゃろう。
    その次は西部方面基地が標的じゃ。わしの顔の利く教祖派の部隊は基地に集結するように言ってあるからの。基地の中と外から一度に攻撃すれば占領するのもたやすい事じゃろう。
    そこまでうまく運べば、後は阿闍梨に失脚を要求するだけじゃな」
    「…そううまく行きますか?我が軍の戦力は東に集中していますし、中央の守備隊は大半が阿闍梨派です。計画がうまく運んでも戦力的には全く太刀打ちできませんよ」
    「その通りじゃが、我が軍としては合衆国との戦線から兵力を削るわけにはいかんのだ。こちらに差し向けられるとすれば中央守備隊くらいじゃの。守備隊は実戦経験のほとんどない腰抜けの集まりじゃ。負けることはないじゃろう。
    それに、各地の教祖派には内々にこの計画を伝えてある。場合によっては東側でもかき回してくれるじゃろう」
    「そこまで計算済みですか。さすがオガサワラ中将ですね。これで貴方がわざわざ主戦線から外れて西部に来た理由が解りましたよ。
    しかし…エフタルの合衆国軍の事はどうするのですか?」
    「うむ。それはわしにも頭の痛い問題じゃ。まさかエフタルに合衆国が居るなどとは思ってもおらなかったからの。
    しかし、阿闍梨はわしが西に下った事を怪しんでおるのじゃ。この機を逃したらおそらくもう機会は無いじゃろう。今更計画を中止するわけにはいかんのじゃよ。
    …そこでじゃ」
    オガサワラはここまで言うと、それまでの話をユナが通訳し終わるのを待った。
    「基地の占領が成功したら、お主に特殊部隊を1小隊貸し与える。エフタルの方々を国に送り届け当地でレジスタンスとして活動してはくれぬか?
    うまく行くようならエフタル勢力と協力して合衆国の部隊を撃滅してくれても良いしの。合衆国と戦う事になれば短期的な援軍は派遣できるじゃろう。どうじゃ?」
    「レジスタンス…」
    ユナの通訳を聞き終えたクロトワ達の方を見ると、3人はチェンに向かって静かに頷いた。
    「エフタルの方々は異論ないようじゃな。後はお主次第じゃ。
    まあ、今までの任務とは全く異なる任務じゃし、クーデターに荷担することにもなる。今すぐに決めなくても良いが…」
    「やります!やらせてください!」
    チェンは自らの決意を固めるような口調でそう言った。
    「そうか。本当に良いのだな?」
    ゆっくりと頷くチェン。
    「では今日からお主は二階級特進で軍曹だ」
    そう言うとオガサワラは静かに立ち上がってポケットからバッジを取り出した。
    チェンも合わせて立ち上がる。
    「チェン軍曹、エフタル開放部隊指揮官に任命する。隊のメンバーは後ほど連絡する」
    オガサワラはバッジをチェンに手渡した。
    「了解しました!」
    チェンは敬礼してそれを受け取った。
    「では、私はこれで失礼するよ。明日の準備が残っているのでね。
    軍曹は明朝ユナ殿と共に行動してくれ。他のお客人はゆっくり休んで下され」
    そう言うとオガサワラは再びマントを羽織って出て行った。
    「私は中将を見送ってくる。寝床は用意させるのでここで待っていてくれ」
    ユナもそう言い残して部屋を出て行った。
    残された一同はこれからの事を考えながら、静かに焚き火の炎を見つめるのだった。

     アユトの母は誰もいないダイニングにランプを灯し座っていた。
    手には2つの手まりが納められた箱を持っている。
    彼女はその箱をじっと見つめながら涙を滲ませていた。
    「ガチャ」
    不意にドアの開く音が聞こえ、アユトの母は慌てて涙を拭うと箱の蓋を閉めた。
    ドアの方を見るとそこにはナウシカが立っていた。
    「あ…シズコ…おなかが空いてしまいましたよ。晩ご飯はまだですか?」
    『とぼけないで下さい。母様が本当はしっかりしていることは解ります』
    ナウシカはそう言うと静かに母の向かい側の椅子に腰掛けた。
    母は苦笑いを浮かべると、
    「…貴女ほど力のある方を騙すのはやっぱり無理ね」
    そう言って椅子の背もたれに寄りかかった。
    『アユトのためにこんな事を?』
    「そう。阿闍梨にこれの在処を悟らせないようにするためには、こうするのが一番都合が良かったのよ。でも、あの子にはずいぶんと辛い思いをさせてしまったわ…」
    そう言いながら母は先ほどの手まりの入った箱の蓋を再び開いた。
    『阿闍梨という人が探していたのはその手まりなのですか?』
    「まさか。探していたのはね…」
    母は手まりを一つ取り出すと、傍らにあったナイフをまりに突き立てた。
    「これよ」
    まりの裂け目からは、クルミのような格好をした金属の塊が転がり出てきた。
    『これは!巨神兵の…』
    「え?なぜそれを?」
    『実は…』
    ナウシカは6年前の出来事を手短に話した。
    「…そう、そんなことが。やっぱりこれは巨神兵のキーだったのね」
    母はそう言うと、秘石を手に持って昔の事を語り始めた。
    「ニッポンはね、浄土教と言う教団が支配しているの。教団は今のニッポンを建国してから巨神兵の復活をずっと計画していてね。ニッポン国内に残っている巨神兵の卵を色々調査していたわ。そして、ついにこの二つの秘石を見つけたの。
    当時、軍研究所の責任者だった夫は、合衆国の武器に対抗するために巨神兵の技術を調査する事には賛成していたのだけれど、まさか巨神兵そのものを復活させることが出来るとは思っていなかったわ。
    だから、世界を焼き尽くしてしまった巨神兵を復活させるなんて言うことには反対だった。当時の教祖様も同じ意見だったの。
     でも、阿闍梨の意見は違ったわ。彼は頑なに巨神兵の復活を主張したの。おそらく自分が巨神兵をコントロールして実権を握ろうとでも思ったのでしょうね」
    『それで秘石を持って逃げたと…』
    「そう。
    最初のうちは教祖様が反対していたから大丈夫だったのだけれど、やがて教祖様は度々床に伏せるようになってしまってね。医者の手当もちっとも利かず、そのうちほとんど寝たきりになってしまったわ。
     おそらく阿闍梨が呪詛でも掛けたんでしょうけど、彼の法力はずば抜けていたから誰もそんな証拠はつかめなかった。
    しかも、ニッポンのしきたりでは教祖は死なないと退位出来ない上に、摂政には教団の運営責任者、つまり阿闍梨が着くことが決まっていたから、結局は彼の思うがままになってしまったというわけ。
    それで、夫は私たちを連れて脱走したの。秘石を持ってね。この先は…あの子から聞いたでしょ?」
    『ええ。それで、その秘石は…このままずっと隠しておくつもりですか?』
    「腐海を焼き払ったり、戦争での最後の切り札として、一応取っておこうというのが夫の考えだったから、そうするつもりだったけれど…
    貴女に持って行って貰おうかしら?」
    『私に?』
    「私も先はそう長くないでしょうし…。それに、腐海や巨神兵の謎を知っていて、ニッポンとも合衆国とも直接の繋がりがない貴女なら、これをうまく使ってくれるんじゃないかって思えるのよ。どうかしら?」
    『私ではなくアユトに託してはどうですか?』
    「あの子に?…それは出来ないわ。今更あの子に本当のことは話せないもの‥」
    『アユトなら大丈夫ですよ。そんなに弱い人ではないと思います』
    「いいえ違うの」
    母はナウシカから視線をそらし、うつむき加減に続けた。
    「…あの子から恨まれるのが怖いのよ。私もアユトが大人になってから何度か本当のことをうち明けようと思ったわ。でもね、自分勝手だと思うでしょうけど…私にはどうしてもその勇気が持てないのよ」
    しばし沈黙が流れる。
    『…解りました。じゃあこれは私が預かります』
    ナウシカはそう言ってテーブルの上に置かれた秘石を手に取った。
    母はもう一つのまりにもナイフを入れ、中の秘石をナウシカに渡した。
    「本当にごめんなさいね。重荷になるようなら腐海の底にでも沈めてちょうだい」
    『私なら大丈夫です。
    ところで、ニッポンは巨神兵についてどのくらいのことを知っているのですか?この秘石の使い方とか、巨神兵のコントロール方法などは知っているのでしょうか?』
    「私たちが逃げる前は、この秘石が巨神兵を復活させるためのキーだろうと言う事くらいしか解っていなかったわ。
    巨神兵に繋がっている黒い箱にこれと同じ形の溝があったから、大体の使い方は予想できていたのだけれど、コントロールする方法も解らないまま復活させれば大変なことになるでしょ?それもあって、阿闍梨も復活には多少躊躇していたのよ。
    時間は大分経っているけれど、巨神兵の事は伝承くらいしか残っていないし、石はここにある訳だから多分状況は変わっていないと思うわ」
    『そうですか。解りました』
    ナウシカはそう言うと手に持った秘石をじっと見つめた。
    「でも、阿闍梨の手にだけは渡らないようにしてちょうだいね」
    『大丈夫。安心してください』
    「じゃあ、そろそろ寝ましょうか。貴女は明日沢山飛ばないといけないんだから」
    母はそう言って杖を頼りにどうにか立ち上がった。
    ナウシカは慌てて立ち上がり、肩を貸す。
    「ありがとう。‥あの子のことよろしくね」
    『ええ。‥でも、アユトが羨ましいわ』
    「なぜ?」
    『母様にこんなにも愛されているんですもの。私の母は…もう亡くなりましたが、私のことを愛してはいませんでした』
    ナウシカは微笑んではいるが、その瞳はどことなく悲しげに見えた。
    「どうしてそう思うの?」
    『母は…優しかったです。でも、私のことで必死になったり、怒ったり、笑ったりしたことがないんです。母はいつも影を…生まれて直ぐに死んでいった兄や姉たちの影をひきずっていました』
    「そう…」
    ベッドに辿り着いたアユトの母はナウシカの手を借りながらベッドに腰を下ろした。
    「ありがとう」
    『いえ。それじゃあ』
    ナウシカが部屋を出てドアを閉めようとした時、アユトの母の声がナウシカを呼び止めた。
    「でもね…それでも、母親は子供を無条件に愛するものよ。貴女のお母様は悲しみや不安が大きくて、感情を余り表に出せなかっただけだと思うわ」
    『…ありがとう。気休めでもそう言って貰えると気が楽になります』
    「気休めなんかじゃ…」
    『私は大丈夫です。どうか心配なさらないでください』
    「そう?」
    『おやすみなさい』
    「おやすみ」
    ナウシカは静かにドアを閉めると、閉めた扉に寄りかかって瞳を閉じた。
    その目尻は、ランプの光を反射して輝いていた。

     「よく眠れたかい?」
    「え?ええ、大丈夫。よく眠れたわ」
    アユトとナウシカは船着き場に向かうエレベータの中にいる。
    ナウシカは何気なく腰のポーチに手を当てた。
    その中には昨夜アユトの母から託された秘石が入っている。
    「…無理しないでくれよ。疲れたらいつでも休憩してくれ」
    「大丈夫よ。心配しないで」
    「なら良いんだけど…」
    2人がエレベータを降りると、先日2人を出迎えた兵士と、もう一人別の士官風の兵士がそこに待っていた。
    アユトはその人物を見ると直立不動で敬礼した。
    「ジョンハ大尉殿、おはようございます!」
    「おはようアユト軍曹。こんなところで君に会うとは驚いたよ。何でも他国の使者を伴って本隊から離れて行動中だとか」
    「はい、その通りです!」
    「詳しい話を聞かせてもらえるか?」
    「はい!しかし、話が話ですので…」
    そう言ってアユトは周囲を見回した。
    エレベータホールにはジョンハの部下と、アーリータワーの駐留兵がいる。
    「そうか。ではあっちの部屋を使おう。お前達はここで待機していろ」
    ジョンハは部下にそう指示すると、エレベータホールに面した扉の一つを開いて中に入った。
    「遊撃隊の上官だ。信用できる人だよ」
    アユトはナウシカにそう言うと、ジョンハの後を追った。
    ナウシカもついて行く。
     「失礼します!」
    「まあ座ってくれ。彼女は…言葉は通じるのか?」
    「彼女は念話の達人ですので大丈夫です」
    「おお、そうか。では改めて自己紹介を。私は遊撃隊のジョンハ大尉です。アユトの上官に当たります」
    『ナウシカです。エフタルから来ました』
    「エフタル?」
    ジョンハは目を丸くしてアユトを見た。
    「ええ、実は…」
    アユトはこれまでの経緯を簡単に話した。
    「そうか、それは大変だったな。しかし、1個中隊壊滅とは…」
    「申し訳ございません」
    「いや、お前に責任はない。むしろ合衆国の駆逐艦隊が相手なら良くやった方だ」
    「それで、大尉殿はなぜこちらに?」
    「ああ、オガサワラ中将が西部方面に下られたのは知っているな?」
    「はい」
    「中将が緊急招集をかけられたのだ。それで各地の駐留兵を遊撃隊が集めることになったのだが、理由は聞かされていない。
    各地の守備隊も集めろということだから、よっぽどのことだろう。もしかしたらエフタルのことを察知なさったのかもしれん。
    しかし、西に合衆国の脅威とあっては早急に本国にも知らせないとなるまいな」
    ジョンハは立ち上がると窓の外を見てなにやら数えている。
    「…船の定員には余裕があるようだから、軍曹に一隻託そうではないか。兵員は割けないが2人で富士に向かってくれないか?」
    「富士ですか?」
    「ああ、このまま基地に戻って念話兵を使っても連絡は出来るが、エフタルの使者が居るのなら、教祖様に直接会っていただいた方が良いだろう。今の時期なら阿闍梨は政(まつりごと)で北京のはずだ。うまく運べばヤツを出し抜いて教祖派の失地回復にも繋がるかもしれん。行ってくれるか?」
    アユトがちらっとナウシカの方を見ると、ナウシカは無言で頷いた。
    「はい。是非行かせて下さい」
    「よし。では…これを親衛隊のヤマモト中佐に渡してくれ」
    ジョンハはそう言いながらメモ用紙に短い文章を記すと、封筒に入れてアユトに手渡した。
    「解っていると思うが、中佐の近衛分隊が管理しているのは最上部の船着き場だけだ。間違っても他に降りるなよ。難癖つけられてそのまま追い返されるのがオチだからな」
    「はい、解りました。では行って参ります」
    アユトはそう言って敬礼すると部屋を出た。
    ナウシカもペコリとお辞儀をしてアユトに続く。
    ジョンハは小走りに駆けてゆく2人の背中を敬礼で見送るのであった。

  7. 捕縛

     「軍曹殿!燃料水注入完了しました!」
    操縦席に座るアユトに窓の外から兵士が声を掛ける。
    「こっちも終わったわ」
    機内ではメーヴェの固定を終えたナウシカが、後方の貨物室から顔を出してそう言った。
    アユトが外の兵士にゼスチャーで準備完了を告げると、外の兵士は車止めを外して遠ざかる。
    「じゃあ行こうか」
    アユトは隣にナウシカが座ったのを確認して、エンジンをスタートさせる。
    「キュイーン…」
    エンジンは甲高い唸りを上げてゆらゆらと陽炎を後方にたなびかせた。
    アユトは外の兵士に敬礼すると、静かにスロットルを引いた。
    機体はゆっくりと加速を初め、船着き場の穴を避けるように回り込むと、一気に加速しやがて飛び立った。
    後ろを振り返ると、アーリータワーがぐんぐんと小さくなって行く。
    「ふう、正直助かったよ。こいつならメーヴェより速いし、第一あいつの2人乗りはきつかったからね」
    アユトはそう言って前を見たまま笑って見せた。
    「あら、昨日は大丈夫だって言ったのに」
    「いや、想像していたよりきつかったよ」
    「ふふ‥」
    「この天気なら昼過ぎには着くと思う。ナウシカはゆっくりしていてくれ」
    「ええ、そうさせてもらうわ」
    船は薄い雲を突き抜けてぐんぐん上昇し、窓の外には雲とキラキラと輝く海面が見えるだけになっていた。
    ナウシカは思い出したように腰のポシェットに触れた。
    そして、しばらく悩んでから口を開いた。
    「アユト…」
    「ん?」
    「あ、ううん…なんでもないわ」
    「どうしたんだ?今朝からなんかおかしいぞ。何かあるんだったら言ってくれよ。俺に出来ることだったら力になるからさ」
    「…」
    ナウシカは迷っているような表情で沈黙している。
    「…まあ、言いたくないことは無理に言わない方が良いよ。ただ…なにか悩みとかがあるんだったら、話しちゃったほうが楽になるかもしれないぜ」
    アユトはそう言って悪戯っぽい笑顔を見せるが、ナウシカはそんなアユトとは対照的に深刻そうな表情のままうつむき加減に口を開く。
    「…アユト、驚かないで聞いてね。本当は貴方には話さないって約束したんだけど…」
    「え?シズコにでも何か言われたのかい?」
    「いいえ、貴方の…母様のことなの」
    「母さんの?」
    「ええ。これを見て」
    そう言いながらナウシカはポシェットから2つの秘石を取り出した。
    アユトは視線だけをちらっと秘石に向ける。
    「なんだい?これ?」
    「巨神兵を起動するためのキーよ」
    「巨神兵?!」
    アユトは驚いて秘石を凝視した。
    一瞬の間をおいて、アユトは操縦桿を離してしまっていることに気付き、姿勢を元に戻したが視線は未だ秘石に向けられている。
    「これを母様に預かったの」
    アユトは真剣な眼差しでナウシカを見つめたかと思うと、急に呆れたような表情をして前に向き直った。
    「母さんか…。また変な妄想したんだな。ゴメンよ。迷惑だっただろ?」
    「いいえ、違うの!母様は気が触れてなんて居ないのよ。今までこれを阿闍梨から守るために気が触れた“ふり”をしていたの」
    「…冗談はよしてくれ。年寄りの戯言だよ」
    「違うわ。私には解るもの。それに母様のお話しはみんなつじつまが合っていたわ」
    ナウシカはアユトの母から聞いた話を一通りアユトに話した。
     「…じゃあ、母さんは俺を…、実の息子のことも騙していたっていうのか?」
    「そうじゃないわ!母さまは貴方のことを守るために敢えて話さなかったのよ。それに…自分でも後悔していると言っていたわ。今更‥」
    「もう良い!やめてくれ!…俺が今までどんな想いであんな母さんを見てきたと思う?それなのに今更嘘だったなんて…」
    アユトはナウシカから顔を背け、うつむいて肩を振るわせている。
    「アユト…」
    「…ゴメン。君には責任ないよな‥
    でも、しばらく一人にしてくれないか…」
    「…解ったわ」
    ナウシカはそう言うと席を立って貨物室への扉を潜った。

     金色の草原…
    ゆっくりと心地よい風が吹き、草が波のように揺れている。
    ナウシカは丘の上にある一本の木にもたれて座っていた。
    髪をなびかせる風が心地よい。
     しかし、ナウシカの表情は曇っていた。
    うつむいて、膝の上にいる王蟲の幼生をなでながら呟く。
    「私、お節介だったかしら… かえってアユトを傷付けてしまったみたい」
    「そんなことはないわ」
    不意に隣から声がする。
    ナウシカが声の方に顔を向けると、いつの間にか隣には母の姿がある。
    「母様…」
    「時に傷の治療は傷その物よりも痛みを伴う…
    でも、いつか治療をしなければやがて滅びを迎える」
    「アユトの母様は… 話さないでと言っていたわ」
    「自分で自分の傷を治療するのは難しいものよ。特に痛みを伴うような治療はね」
    「じゃあ私のしたことは間違ってなかったの?」
    「それは誰にもわからないわ。答えは…自分で見定めなさい」
    そこまで言うと、母は静かに立ち上がる。
    「母様、私もっと話したいことが…」
    母が横に首を振ると、ビュウっと急に強い風が吹き、ナウシカは思わず目を閉じた。
    再び開いた視界に母の姿は無く、風にこだまするように声だけが残る。
    「さあ、もうお行きなさい。貴女には貴女にしかできないことがあるはずです…」

     ナウシカは体の浮くような感覚でふと目を覚ました。
    船が降下を開始したようだ。
    窓の外に見える太陽はもう西の空に傾き始めている。
    「ずいぶん寝てしまったみたい…
    自分で見定める‥か…」
    ナウシカはそう呟きながら、貨物室の堅い床から立ち上がると操縦席への扉をそっと開いた。
    「…そろそろ到着だよ」
    扉が開いた気配を感じたアユトは、視線を前方から逸らさずにそう言った。
    「ごめんなさい。私…」
    「いいさ。昨日は一日メーヴェで2人乗りしてたんだから。疲れがたまっているんだよ」
    ナウシカはアユトの言葉を聞きながらシートに滑り込む。
     そして、しばらく沈黙が続く。
    その沈黙を破ったのはアユトであった。
    「さっきはゴメン。急な話で気持ちが動転してしまって」
    「謝ることなんて無いわ。私こそ‥お節介だったんじゃないかって。母様との約束だって破ってしまったし」
    「いや、君のおかげで色々吹っ切れたよ。これからやるべきことも見えてきた」
    アユトはそう言うと視線をナウシカに向けた。
    「すまないが、さっきの石‥巨神兵のキーというヤツを俺に渡してくれないか?
    過去を振り切るためにこの手で海に捨てたいんだ」
    ナウシカは少し考えてから静かに頷くと、ポーチから二つの秘石を取り出してアユトに手渡した。
    「…ありがとう。じゃあ操縦を頼む。しばらくこのままで良いから」
    アユトはそう言って操縦桿をナウシカに託すと、貨物室への扉を開ける。
    アユトはノブに手を掛けたままふとナウシカを振り返った。
    何か言おうとして口を開きかける…が、結局その口から声が発せられることはなかった。
    アユトは何かを振り払うように首を振ると、薄暗い貨物室に姿を消した。

     「話は分かった。ナウシカ…殿と申したか。心中お察しいたす」
    アユトとナウシカは近衛分隊の応接室に通されていた。
    大きなソファーに座った2人の前には洒落たテーブルがあり、ほのかに湯気を上げるカップが並べられている。
    豪華な絨毯にシックなカーテンと、およそ軍の施設には見えない洒落た作りだ。
    その向こうには一人掛けのソファーに深く腰掛ける細身で長身の中年女性がいた。
    彼女は礼服に近いような軍服を纏っているせいもあって、一見男性のようにも見えるが、女性のみで構成される近衛分隊の隊長であるヤマモト中佐その人である。
    「しかし、ジョンハも思慮不足だな。確かに阿闍梨は今ここに居ないが、ヤツが居ようと居まいと大差はない。近衛分隊と言えども僧正会を通さずに使者を教祖様に謁見させるなどと言うことは出来ないのだ」
    ヤマモトはジョンハからの手紙をテーブルに置き、代わりにカップを取りながらそう言った。
    「近衛分隊は、例え上官の命令であっても、それが別の隊からのものなら、無視することが出来るのでは無いのですか?」
    「軍内部ではその通りだ。が、僧正会はあくまでも教団の組織だからな。この辺は政治的な話だから一介の軍人にはちょっと解りづらいだろうが」
    「そうですか…」
    「とりあえず部屋を用意させよう。まあ、少しゆっくりして行け。
    ジョンハから小笠原中将には話が行くだろうから、中将から何らかの指示があるかもしれん。もちろん私からも僧正会に話はしておく」
    ヤマモトはカップの中身を一気に飲み干すと、立ち上がって壁の呼び鈴を押した。
    するとドアが開いて外に控えていた部下が顔を出す。
    「力になれなくて済まないが私はこれで失礼する。色々と忙しくてね。
    後のことはこのシズク上等兵に任せるので何なりと言いつけてくれ」
    そう言うとヤマモトはシズクと呼ばれた女性−というよりは少女に近い−に幾つか指示を出して部屋を出た。
    「そうそう…シズクは教祖様の身支度をお手伝いしている。シズクならば教祖様と雑談を交える機会もあるぞ。…まあお話ししたところで教祖様がご自分から何か行動するとは思えんがな」
    ヤマモトは去り際に振り返ると、それだけ言って暗い廊下に姿を消した。
     「シズクです。宜しくお願いします。では早速お部屋の方にご案内いたします」
    シズクは立ったままドアのところで二人を促した。
    二人は立ち上がって彼女に従う。
    「ありがとう。それでシズク‥さん」
    「ハハ。いやですね軍曹殿。部下にさん付けはないですよ。メイドみたいな仕事ですけど一応軍人なんですから」
    「なんかナウシカにも同じようなこと言われたな。どうも女性の扱いには慣れて無くて」
    照れ笑いをしながら頭をかくアユト。
    「じゃあ、えっと‥シズク。中佐が最後に言ってたことだけど」
    「ああ、ご心配なさらなくても桜紀(おうき)さまにはちゃんとお話しておきますよ」
    「いや、そうじゃなくて、『ご自分から行動するとは思えない』とか‥」
    「ああ、そのことですか」
    シズクは立ち止まると周囲をキョロキョロと見回してから小声で続けた。
    「いや、桜紀さまは名目上教祖様として最高権力を持ってはいますが、実際には阿闍梨様の許可が無ければ何も出来ないに等しいんですよ。自室‥って言っても広いですけど、そこから出ることすらね。
    それに、そう言う環境で育ってきたからか自分の考えってものがほとんど無いんです。言うなればお人形みたいっていうか‥」
    ここまで言って、シズクはハッと口を押さえる。
    「やだ。私ったらまた余計なことまで‥ 今のことはここだけの話にしといてくださいね!そうじゃないと私クビになっちゃいますから」
    そう言って大げさにクビを切るゼスチャーをして見せるとにっこり笑って再び歩き出す。
    「そうか‥上層部は色々と難しいな」
    「そうですね。結構ドロドロした世界ですよ。
    でも、私は桜紀さまのこと好きですよ。小さい頃遊び相手をしていた子供達のなかでも特に私とは仲良しだったんです。もちろん今でも仲良しですけどね‥っと、こちらです」
    シズクは通り過ぎそうになったドアの前で急に立ち止まると、そのドアを開いた。
    「どうぞお入り下さい」
    「ありがとう」
    そう言ってナウシカとアユトは部屋に入ろうとする。
    が、アユトは不意に上着の裾を捕まれ、よろけてしまった。
    「軍曹、何してるんですか。軍曹のお部屋は階下の兵員宿舎ですよ。ここは来賓用です。
    第一ナウシカさまは女性なんですよ!許可も取らずにレディーのお部屋にのこのこ入っちゃダメですよ」
    まるで、幼い子供に言い聞かせるように人差し指をピンと立てて小言を言うシズクに、アユトはまた苦笑いをしながら頭をかいている。
    「あ、そうか。ゴメンゴメン」
    『フフ。なんか頼りない兄としっかり者の妹って感じね』
    「え…」
    ナウシカの台詞で、ふいに二人は真顔になって見つめ合う。
    『あ、ごめんなさいアユト‥つい…』
    「もう、そんな顔で見つめないでくださいよ〜 照れるじゃないですか」
    シズクは直ぐににこやかな表情を取り戻すと、ナウシカの言葉を遮るように、照れた素振りでアユトの肩をバシバシと叩きだした。
    「あ、いや‥ ちょ、痛いって!」
    アユトは当惑気味。
    「あ、すいません。また私調子に乗っちゃって‥」
    シズクはそう言いながら舌を出して自分の頭を軽く小突いた。
    それから、頬を軽くパンパンと叩くと姿勢を正す。
    「じゃあ私はこれで失礼しますね。軍曹のお部屋は‥他の基地と同じですからお解りになりますよね?
    ナウシカさまの方は何かあったらそこのボタンを押していただければ誰かしら伺いますので、このお部屋からは勝手に出ないでくださいね。階段にはこわーい歩哨の人がいますから見つかると大変ですよ」
    シズクは指をつのに見立てて頭にあてがいながら説明する。
    そして、説明を終えるとペコッと一礼して小走りに去っていった。
    「なんか、すごい元気だな‥」
    「ええ‥」
    残された二人はドア口でシズクを見送りながら固まっている。
     「あいつのは心の闇を隠すための、空元気なものかもしれんがな」
    不意に聞こえた声に振り向くと、そこにはヤマモトが立っていた。
    「あれ、中佐はなにかご用事があったんじゃ?」
    「私の立場からでは話せないようなことも聞けたろ?まあそう言うことだ。忙しいのは本当だが、他国の使者をないがしろには出来ないからな。
    じゃあナウシカ殿、ゆっくり休んでくだされ」
    そう言って立ち去ろうとするヤマモトをナウシカが呼び止める。
    『あの、心の闇って‥』
    「ん?ああ、シズクのことか。あいつは戦争孤児でね。両親共に軍人で戦死したと言うことになっているが、実際は政争で暗殺された貴族の娘らしい。
    そうでもなければいくら念話の素質があるとは言え、教団施設が引き取るなんて事もないだろうからな。
    施設に入る前の記憶は無いらしいが、長いつきあいだからな。笑顔の裏に陰りを感じないわけでもない」
    そこまで言って、しばしの沈黙。
    「まあ、今の近衛分隊には似たような素性の娘は沢山いるがな。イヤな世の中だ」
    ヤマモトは言葉がまだ終わらないうちに二人に背を向けて歩き始めていた。
    ブーツの音を廊下に響かせ、どことなく背中に哀愁を漂わせながら、ゆっくりと曲がり角に姿を消した。
     「アユト、シズクの生い立ちって…」
    ヤマモトの姿が見えなくなるのを見計らってナウシカが口を開いた。
    「ああ、妹の可能性もある‥かもな。
    でも、中佐も言ってたみたいに似たような境遇の娘は結構多いんだよ。軍上層部や貴族の中は結構どろどろしていてね。暗殺とか誘拐とか謀略とか色々あるみたいなんだ。
    彼女に幼い頃の記憶が無いんじゃ直接聞いても無駄だし。まあ、今日明日お別れって事にもならなさそうだから、そのうちゆっくりと話してみるさ」
    「そう‥」
    「じゃあ、明朝またここに来るから。ゆっくり休んでくれ」
    アユトはそう言うと手を振りながら階段を降りていった。

     扉の隙間から灯りが漏れている。
    暗闇の支配するこの世界にあって、その灯りはとても、とても暖かく感じる。
    ナウシカはその暖かさに触れたくて、手を伸ばす。
    自分の手の甲に、その暖かい灯りは細い線を描く。
    暖かい。
    この暖かい灯りをもっと感じたい。
    扉を押して、隙間を広げる。
    やがて、広がった隙間はナウシカの瞳に、乳飲み子を抱いた女性を映しだす。
    女性はこの灯りに負けないくらいの暖かさを持った笑顔を、胸に抱いた赤子に向けている。
    「母さま…」
    ナウシカはその女性‥母に歩み寄ろうとする。
    自分には向けられることの無かった、母のあの笑顔が欲しくて。
    でも、進もうとすればするほど、自分の意志とは正反対に足は後ずさりして行く。
    「イヤ‥母さま…」
    そして、扉が閉ざされる。
    「母さまー!」
    扉の隙間から射していた灯りは失われ、再び闇が支配する。
    暗く、冷たい闇が。

     「コンコン」
    まだ夢現(ゆめうつつ)のナウシカの耳に、扉をノックする音が響く。
    うっすらとまぶたを開けると石造りの天井に窓から日の光が差していた。
    「(ここは…どこだろう? シュワ‥じゃないわよね)」
    朦朧とした頭を振りながら上体を起こして部屋の中を見回す。
    「コンコン」
    再びノックの音が響く。
    「はい、誰?」
    いまいち状況を思い出せないながらもとりあえず声を出した。
    「ナウシカさま、お目覚めですか?」
    外からは女性の声が聞こえてくる。
    が、ナウシカの耳は自分の名前が呼ばれたらしいことしか理解できない。
    「(…あ、そうだ。ここはアユト‥ニッポンの…)」
    ようやく回転しだした頭は状況を思い出して行く。
    「(今の声は…シズクだ。そう、念話で話さないと)」
    「ナウシカさま?」
    シズクの声に心配の色が混じる。
    『ごめんなさい。ちょっと寝起きで混乱していて… 今開けるわ』
    ナウシカはそう言いながら急いでドア口まで行くとノブを捻って扉を押し開けた。
    「おはようございます。朝食をお持ちしました〜」
    シズクはそう言いながら大きな配膳カートを押して入ってきた。
    「ちょっと早すぎましたかね? 何分軍隊なもので、朝は早くて」
    『いいえ、ちょっと気が緩んじゃったみたい。もう大丈夫』
    「お疲れなんですから無理なさらないでくださいね〜 ご飯食べたらまたゆっくり休んでくださいな」
    シズクはカートから沢山の食器を出して、テーブルに並べている。
    ナウシカはまだいまいちパッとしない頭でそれを眺めていたが、その量がかなり多いことに気が付いた。
    『え?こんなに沢山?』
    「ああ、食べきれなかったら残してください。ナウシカさまは国使扱いですからね」
    『でも残しちゃうのはもったいないわ。毎日の食事すらまともにとれない人たちが沢山いるのに…
    そうだ、良かったら一緒にどう?』
    シズクはびっくりしたような顔でナウシカを見つめる。
    「え?私がですか?」
    『ええ。良ければだけど… 一人で食べるのも寂しいし』
    シズクはナウシカの顔と料理の並べられたテーブルを交互に見ている。
    「うーん‥ ホントはいけないんですけど… お客様に寂しい思いさせてはいけませんし‥」
    シズクは頭から湯気が出そうなくらい悩んでいる。
    ナウシカはその様子を見ていると、なにかとても悪いことを言ってしまったような罪悪感に苛まれた。
    『…あ、シズクが怒られるなら無理にとは‥』
    「わかりました! 据え膳喰わぬは何とやら! ここは覚悟を決めてお供いたしましょう!」
    何故かとても張り切って良く意味の分からないことを高らかに宣言するシズク。
    「さあ、そうとなれば、冷めないうちに頂きましょう!」
    『え、ええ。じゃあそうしましょう』
     「カチャカチャ…モグモグ…」
    柔らかな朝日がレースカーテン越しに射し込む部屋の中に、食器の立てる乾いた音と咀嚼音が響く。
    いや、咀嚼音に関しては実際に聞こえるわけではないのだろうが、ナウシカにはあたかも聞こえるように感じた。
    その−仮想的な−音を立てている主は、他でもないシズクだ。
    シズクのあまりの食べっぷりに圧倒されて、ナウシカの箸は余り進んでいない。
    「ナウシカさん、それ食べないんですか?」
    『え?ああ、これ?どうぞどうぞ‥』
    「あ、すいません。では遠慮なく‥」
    『それにしても、良い食べっぷりね。見ていて感心するくらい』
    シズクはその言葉で我に返ったように動きを止めた。
    頬が少し紅潮してくる。
    「また、私ったら調子に乗っちゃいました〜 みっともないところをお見せしてすいません‥」
    食べるのをやめてうなだれるシズク。
    『あ、気にしないで。若いんだからどんどん食べないと。食欲旺盛なのは全然恥ずかしいことじゃないわ』
    「…そうですか?」
    うなだれたまま、上目遣いで表情を伺うシズクに、ナウシカは優しく微笑みかける。
    そう、夢に出てきた母のように…
    「では、お言葉に甘えさせていただきます」
    シズクもにっこりと微笑んで、再び食事を口に運ぶ。
    が、先ほどのような呆気にとられるペースではなく、ゆっくりと食事を楽しむような雰囲気になっている。
    「やっぱり美味しいですね〜 私たち一兵卒の食事とは天地の差ですよ」
    『ごめんなさいね。こんなにしてもらって。次からはみんなと同じようなもので充分なんだけど』
    「いえ、規則で決まってますから。この国は何でも規則規則なんですよ。規則で決まってないことをやりたがる人も、規則自体に疑問を持つ人も、ほとんどいないんですよ。
    だから、要らないものでも規則で貰うことになっていれば貰わないといけないし、貰ってあげることが、あげる側の人のためにもなるんです」
    『そうなの?なんだか窮屈そうね』
    「いや、実はそうするのが楽なんですよ。自分は何も考えないで、決められたとおりにしていれば良いんですから。
    自分で考えるとなると、その行動は自分で責任取らないといけないじゃないですか。みんなそれがいやなんですよ」
    『そう言う物かしら?アユトなんかはあんまりそう言う風には見えないけど』
    「軍曹は遊撃隊ですからね。遊撃隊はその性格上、臨機応変に色々しないといけませんから、あそこはニッポン軍としては変わった所なんです。
    まあ、中央でもヤマモト中佐とかはちょっと違いますけどね。中佐はきっと大物になりますよ」
    「コンコン」
    ドアをノックする音で、二人の会話は中断された。
    「ナウシカ、起きてるかい?」
    ドアの外からはアユトの声。
    「あ、軍曹みたいですね。じゃあ私はこれで失礼します。どうもごちそうさまでした」
    シズクは自分の使った食器類を手早くまとめると、配膳カートにそれを押し込む。
    『一緒にいても構わないのに』
    「いえいえ、もう充分ご馳走になりましたから。それに、男女の仲を邪魔するほど野暮じゃありませんし」
    『え、そんなんじゃ…』
    悪戯っぽい笑顔のシズクに、少し頬を染めるナウシカ。
    「あら、赤くなっちゃって。ナウシカさんも以外と初(うぶ)なんですね」
    シズクはそんなことを言いながらペコッと軽くお辞儀をしてカートをドア口まで運んで行く。
    「おーい、ナウシカー」
    再びアユトの声。
    「はいはい、今開けますよ〜 じゃあナウシカさん、ゆっくりお食べ下さいね。後で食器は下げに来ますので」
    そんなことを言いながら、廊下に消えて行くシズクに代わって、アユトが顔を見せる。
    「ゴメン、食事中だったんだね」
    アユトは、すれ違ったシズクと挨拶を交わし、テーブルの上の食器に目をやってから、そう言って頭をかいた。
    「ううん、構わないわ」
    ナウシカに促されて、アユトはさっきまでシズクの座っていた席に着く。
    「どうしたんだ?なんか顔が赤いぞ。熱でもあるんじゃないか?」
    「え?な、なんでもないわ… ちょっとスープが熱かったから」
    「そうか?なら良いんだけど」
    「アユトも食べない?」
    「いや、俺はもう食べてきたから。気にしないで食べながら聞いてくれ。
    これからのことなんだけど…」
    「ごめんなさい。私の国のことなのになんの役にも立てなくて」
    「君が気にする事じゃないよ。ナウシカにとってここは来たこともない異国なんだから。
    まあ、とりあえず俺もこれと言って何も出来ないのが本当のところだし」
    苦笑するアユト。
    「殆ど待つしかないって状況なんだ。中央で頼りに出来る知り合いは全くいないし…」
    そこまで言って、なにやら考え込むように黙り込むアユト。
    「アユト?」
    「ん?ああ、ゴメン。そう言えば学校で結構親切にしてくれた教官がいたのを思い出したんだ。風の噂で今は富士にいるって聞いた気がするし…
    もしかしたら、少しは力になってくれるかもしれない」
    「学校って念話とかの?」
    「ああ。善は急げだ。ちょっとシズクに聞いてみるよ。まだその辺に居るだろうから」
    アユトはそう言うと小走りに廊下に出て行った。
    「ガッシャーン!」
    いや、正確には出て「行こう」としてドアを開けたところで、派手な音を立てて誰かとぶつかったようだ。
    ナウシカが様子を伺うと、どうやら当のシズクのようである。
    「ゴメン!あ、手伝うよ」
    「いえいえ〜 私こそお洋服汚しちゃって。あ、良いですよ。私がやりますから」
    どうやら、ぶつかった拍子に食器とその中身をぶちまけてしまったようだ。
    『二人とも大丈夫?』
    ナウシカが声をかけるとアユトはバツが悪そうに苦笑して頭をかいている。
    その足元ではシズクが手際よく割れた食器や転がった果物を片付けている。
    「すみません。デザートを置いていくのを忘れちゃったんで戻ってきたところだったんです。すぐに代わりをお持ちしますので」
    『あ、気にしないで。もう食べきれないし、貴方も怒られちゃうでしょ? それよりアユトの話を聞いてあげて』
    そう言われてシズクは片付けの手を止めてアユトを見上げる。
    「ちょっとシズクに聞きたいことがあったんだ。学校に居たときの教官のことで…」
    「じゃあ、下に行きましょうか。ナウシカさまのお食事をあんまり邪魔しても悪いですから」
    『あ、私ならかまわないわよ?』
    「いえいえ、お疲れなんですからゆっくししてくださいな。じゃあデザートのことはすみません」
    そう言って頭を下げるシズクにナウシカは「気にしないで」と笑顔を向ける。
    シズクも笑顔で答えると、アユトと共に廊下に出て行った。
    ナウシカはドアが閉まるのを見送って、再び椅子に腰を下ろす。
    目の前にはまだ結構な量の食事が残っているが、いまいち食欲が湧かずしばしそれらを見つめる。
    「(なんでだろう? 胸がドキドキする…)」
    そんなナウシカの心中に呼応するように、窓から差し込む日差しがスッと陰って行く。
    富士は厚い雲に覆われようとしていた。

     「大僧正殿、ありがとうございました!」
    「うむ。大したことではないよ。君もいろいろ大変だろうが、がんばってくれたまえ」
    「はい!では、失礼いたします!」
    アユトは、フカフカの絨毯に重厚なドアといった部屋の出口で、ビシッと敬礼した。
    それにあわせて、秘書役の小姓が無表情にドアを閉める。
    中では、大僧正と呼ばれた僧衣をまとった初老の男性が、ドアが閉まるのを確認して鍵を掛け、踵を返して部屋の奥へと歩き出した。
    彼の向かう、長い廊下の奥にある部屋では一人の女性が乱れた髪もそのままに、ガウンを肩から掛けただけの姿で窓の外を見ていた。
    「あれで良かったのか?」
    部屋に入ってきた大僧正が、女性にそう問いかける。
    女は、変わらず窓の外を見つめたままコクリと頷いた。
    「まあ、予想以上に使えそうだが… 本当にこれで阿闍梨を出しぬけるんだろうな?面倒ごとだけで終わるのは勘弁だぞ」
    女は答えない。
    「…まったく女狐だな。お前は」
    大僧正はそう言いながら女の肩を抱き、彼女の視線の先に自らも視線を移す。
    「降ってきたようだな。連絡は入れさせておいた。まあ、ゆっくりして行け…」
    窓の外では、ポツポツと雨が降り出している。
    そう、まるで涙のような雨が。

     「教祖様の御出座にございます」
    正装を纏った僧侶の口上に合わせて、幾人かの取り巻きに伴われた教祖が、壇上に姿を現した。
    とはいえ、壇上はすだれで仕切られていて、ナウシカの目に教祖は人影としか写っていない。
    隣には、恭しく頭(こうべ)を垂れているアユトがいる。
    アユトの元教官の口利きで、アユトが教団のナンバー2である大僧正にお目通りが叶い、この謁見が急遽決まった。
    しかし、それからアユトはナウシカを避けているような感じであった。
    単に、謁見に向けての準備などで忙しかっただけなのかもしれないが、会って話をしていてもどうもよそよそしい感じがして、ナウシカの不安を煽っていた。
    「一同、面を上げよ」
    進行役の僧侶の声にしたがって、頭を垂れていた面々は頭を上げた。
    「では、大僧正殿。阿闍梨殿の留守中にも係わらず、急ぎ謁見をご所望された訳などお聞かせいただけますかな?」
    僧正会のメンバーの一人が、いかにも皮肉っぽく問いかけた。
    「拙僧は卑しくも大僧正を勤める身。謁見程度のことで、拙僧の判断をそなたに説明する義理立てはありませぬよ」
    大僧正もまた皮肉で返し、暫く睨み合うような間を取って、言葉を続ける。
    「…しかし、桜紀(オウキ)様を始め、皆様方に状況を説明することまで使者殿に任せるのは酷ですからな。使者殿の代わりに、拙僧の方から説明いたしましょう」
     そして大僧正の口から、ナウシカがここに至るまでの経緯が語られ始めた。
    大僧正の説明は持って回った言い回しで、さらに所々で僧正会の面々がどよめいたりざわめいたりするために、説明は遅々として進まない。
    ナウシカはその様子を見ながら、今朝アユトから聞いた話を思い出していた。

     「俺も詳しくはいんだけど、教団の構造はまずトップに当然教祖様、そしてナンバー2であり実際の運用を任される阿闍梨、その下に阿闍梨を補佐して緊急時にはその代わりを務めることになっている大僧正様がいるんだ。
    でも、教団の運営方針なんかは、教祖様の勅命で無い限り、僧正会で正式に決定されることになってる。
    阿闍梨や大僧正様は自分の判断でいろいろやれるけど、大局的な方針決定なんかは僧正会で承認を受けることになっているし、僧正会は阿闍梨や大僧正様が決めたことを覆す権利も、一応持ってる。
    まあ、阿闍梨なんかが暴走しそうになったときに、それを止めるための安全装置みたいなもんかな。もっとも、僧正会も過半数は阿闍梨の腰巾着だそうだから、機能していないようなもんだけど。
    僧正会のメンバーは、それぞれ東西南北そして中央を守護する5人の僧正と、阿闍梨、大僧正様の計7人だ」
    「前に話してた阿闍梨派とか教祖派とかは?」
    「ああ、あれはあくまで軍部内での派閥なんだ。
    ニッポンのトップはすべての面において教祖様なんだけど、実務に関しては教団・軍・国政で組織が分かれているんだ。
    で、軍に関しては、教祖様直轄の親衛隊以外は教団の管轄で、すなわち阿闍梨の管轄ってことになる。
    とはいえ、親衛隊は他の部隊の管理監督もやるから複雑なんだけどね…」
    そこまで言って、アユトは一旦言葉を切り、再び話し始めた。
    「政(まつりごと)は北京に議会があって、そこでやってるんだ。ここもトップは教祖様で、その下に議会があるって感じなんだけど、今は阿闍梨が摂政だから、阿闍梨の下に議会があるって感じだね。
    阿闍梨が今ここにいないのは、議会の会期中で北京に行っているからなんだ」
    「国が大きいといろいろと複雑なのね。私たちの世界の国々はもっとシンプルよ」
    「そうだな。権力の綱引きの結果なんだろうけど」
    「それで、大僧正という人は信用して大丈夫なの?」
    「ああ、シズクやヤマモト中佐にいろいろ聞いてみたけど、彼は阿闍梨と違って教祖様の復権を願っているらしい。
    教団の中にも阿闍梨の腰巾着と、教祖様を立てようとする勢力があって、大僧正様は後者の筆頭だって。軍の教祖派とも繋がりは深いらしい。
    それに、この前直接話した感じからしても、信用できる人だと思ったよ」
    「そう… 私はアユトのその判断を信じるわ」…

     そうこうしているうちに、大僧正の説明も終わろうとしていた。
    しかし、今までの経緯を見ていると、大僧正も権力闘争にどっぷり浸かっているように見える。
    ナウシカは小声でアユトにその辺りを聞いてみた。
    「アユト。大僧正は本当に信用して良いのかしら?彼も権力に固執しているように見えるけど…」
    「まあ、こういった場で阿闍梨派を出し抜くためには、そういったドロドロした戦いも必要なんだろう」
    「(そうかしら… でも、他に道は無いし、やるだけやるしかないわね)」
    そして、ようやく大僧正の説明が終了した。
    「では、使者殿に口上を述べていただこう」
    大僧正のその言葉で、一同がナウシカに視線を集めた。
    『ニッポン国の教祖様、そして僧正会の皆様。エフタル地域を代表して、お願いいたします。
    先ほど大僧正様にご説明していただいたように、我等は合衆国艦隊の急襲により、奴隷の如き不平等な協力関係を強いられています。そして、不本意ながらニッポンとの戦争にも駆り出されようとしており、抵抗しようにも我等の力では合衆国艦隊には遠く及びません。
    我等が合衆国の魔手から逃れるため、是非、手助けをお願いします』
    「うむ、見事な念話じゃ。
    使者殿。用向きは解かり申した。しかし、我等とて北東に合衆国との戦線を抱えており、エフタルの救済に避ける兵力は限られておりましての。さらにエフタル方面への道程は非常に難儀で、おいそれと安請け合いをするわけにも行かぬのじゃ」
    『無理なお願いなのは、充分承知しています。
    しかし、我々が合衆国軍を追い払う手助けをしていただける程度で良いのです』
    「大軍勢が正面からぶつかり合って、国土が荒廃するのは避けたいということかの?」
    『…勝手なお願いであることは承知していますが、そこを何とかお願いできないでしょうか』
    「うむ、では少々検討させて貰うとするかの」
     僧正会の代表らしき老僧侶、北の僧正はそこまで言うと、ナウシカから他の僧正会の面々に向き直った。
    「この件、どうしたものかの?」
    「確かに、エフタルに進軍するのはちと辛い。小規模な部隊なら何とかなるだろうが、それでは彼奴らを追い払うことも難しかろう。さらに、もしうまくいったところで我等の利は薄い」
    「しかし、エフタルの合衆国軍を放置すれば我等は挟み撃ちにされますぞ。それにエフタルとの貿易は我等にも充分利益となるのでは?」
    「西の。エフタルとの貿易で懐を潤そうというおつもりか?」
    「そのようなこと考えては居らん!」
    「…まあ、その件はおいておくとして、エフタル地方から我が国を攻めるにも同じ障害があることをお忘れか。
    彼奴らも我等を攻めようと思えば、南西から来るしかないであろう。
    ならば、南西地方の守りを固めて向かい撃てば良いではないか」
    「向こうから攻めてくるのを待つと?
    彼奴らとて馬鹿ではないですぞ。勝機も無く攻めてはこぬでしょう。
    攻めてくるときはわれらの守りを突破できるだけの策を練ってくるのでは?」
    「戦いでは守備側が圧倒的に有利。守勢に回れば我が軍が負けることなど…」
    「そんな弱腰でどうする!先手必勝と言うではないか!ここは一気に攻め込んで敵戦力を大幅に削るのが…」
    「お主は戦のことをわかっておらぬ…」
    僧正会の話し合いは紛糾してしまい、大僧正は腕を組んで沈黙を守っている。
    しばらく、僧正会の議論が続いた後、一人の僧正が
    「やはり、摂政である阿闍梨殿の帰りを待って決めるしかないのではないかね?」
    と言い出した。
    「議会の会期はあと1週間ほど。その程度待ったところで大局は変わらぬだろう」
    「そうじゃな、歯痒いが今の僧正会では結論は出せそうに無い…」
     一同が賛成しかけたとき、やおら大僧正が立ち上がった。
    「その1週間の間に、ここに居られるナウシカ殿の御同胞は、何人命を落とすのでしょうかな。
    我等ニッポン国のことだけを考えるなら、1週間ごときたいした事ではないでしょうし、守勢に回るという方法も良いでしょう。
    しかし、それではナウシカ殿の御同胞を裏切ることになりますぞ」
    「しかし、大僧正殿。下手に攻め込めば我が国自体を危険にさらすのですぞ。
    そなたは摂政ではないのだから、やはり摂政である阿闍梨殿を待って判断を仰ぐべきではないかね?
    それとも何か決定的な策をお持ちかな?」
    おそらく阿闍梨派なのであろう、東の僧正は皮肉っぽい笑みを浮かべながらそういった。
    しかし、大僧正は余裕の笑みを浮かべている。
    その表情をみて、東の僧正の笑みは消えた。
    「決定的な策ですか。よろしい。では、それをお見せしましょう」
    そういうと、大僧正はアユトの方を見た。
    「軍曹。例のものを出してくれないか」
    アユトは一瞬躊躇したような様子を見せたが、立ち上がり上着のポケットから何かを取り出した。
    「アユト!貴方…」
    ナウシカは一瞬驚愕の表情を浮かべ、そして悲しみに眉根を下げた。
    「仕方なかったんだ!こうでもしないと援軍は出せないんだよ…
    それに、戦争を終わらせられれば妹を探すこともできるはずなんだ… 解かってくれ…」
    「貴方達は巨神兵を直接見ていないから、そんなことが言えるのよ!あれは貴方たちが思っているような従順な僕などではないのよ!」
    「…ちょっと待ってくれ。ナウシカ、まるで巨神兵を見たことがあるみたいだけど?」
    「…アユトにはまだ話していなかったわね。
    私たちの世界でも6年前、巨神兵を復活させてしまったのよ」
    「何だって…」
    「だから私には解かるの!巨神兵なんて、戦いの道具として安易に復活させて良いような代物じゃないのよ」
    「これはまた思ってもいなかった大収穫だな。まさか、巨神兵復活の過程を直接知っているとは。
    軍曹ご苦労だった。これで君は単なる昇進どころか、生きながらにして二階級特進確実だ」
    アユトとナウシカが口論に気を取られている隙に、大僧正が傍らまで近づいてきていた。
    「え… 私念話を使っていないのに…」
    「われわれとて僧侶だからな。念話程度の修行はきちんと積んでいる。貴女が特に気をつけていなければ、話そうとしている内容は充分理解できるよ」
    大僧正はそう言いながら、アユトが手のひらに載せたままにしていた秘石をすっと取り上げた。
    「あっ…」
    「これは私が預かっておくよ。軍曹…いや、もう准尉と呼ぶべきだな。
    後はナウシカ殿の協力を得られれば、これの解析もすぐ終わるだろう。そうすれば我が教団念願の巨神兵復活だ」
    「ダメッ!ダメです!さっきの私の話を聞いたのでしょう?巨神兵を復活させたって思うように操ることなんてできません」
    「うむ。大僧正殿、ナウシカ殿の言う通りじゃ。復活できてもうまく操れぬと飼い犬に手をかまれることになるやも知れんぞ」
    北の僧正が立ち上がって意義を申し立てる。
    が、
    「それについてもご心配には及びませぬよ。北の僧正殿。
    “青き衣の者”がここに居りますゆえ」
    そういって、大僧正はナウシカの背中に手を回し、皆に紹介するようなポーズをとった。
    「アユト准尉の話によれば、このナウシカ殿は蟲達とも心を通わせることができるそうです。
    まさに、教義にある“青き衣の人”ではないでしょうか?
    そして、その彼女が援軍を求めているのです。もはや恐れるものは無いでしょう?」
    「ムム…」
    僧正会の面々にもはや反論は無い。
    「そんなことを勝手に決めないでください!私は“青き衣の人”なんかじゃありません。
    それに、私は巨神兵の復活になど手は貸しません!」
    「これはこれは。ちと話を急ぎすぎましたかな」
    大僧正はおどけた態度を見せる。
    「しかし、巨神兵を復活させないとエフタルへの援軍は難しいのですぞ?
    貴女とて、みすみす同胞を死なせたくはないでしょう。それに、巨神兵の強力な火力を持ってすれば合衆国艦隊など一瞬で肺にできる。国土の荒廃も、御同胞の犠牲も最低限で済ませられるというものです」
    そう言って、ナウシカの顔を覗き込む大僧正。
    彼の手には秘石が握られている。
    「話しても解かってもらえないみたいですね」
    ナウシカはそういうと同時に、傍らに居る大僧正の腕を押さえ込んだ。
    そして、そこに握られている秘石を奪おうとする。
    「貴様!何をするっ!」
    不意を付かれた大僧正は、あわててナウシカを振りほどこうとするが、体力に勝るナウシカに倒され、押さえ込まれてしまった。
     と、そのとき
    「グッ!アアア…」
    ナウシカは急に床に転げ大の字になると、体が硬直し息もできなくなってしまった。
    「ナウシカ!どうした!?」
    アユトがあわてて駆け寄るが、ナウシカは脂汗を浮かべて歯を食いしばり、微動だにできない様子だ。
    大僧正は、慌てて起き上がると二人から距離を取った。
    そこに壇上より、少女のか細く抑揚もないものの、不思議と威厳に満ちた声が響く。
    「…このような場での狼藉、他国の使者といえど許しません」
    見ると、すだれの向こうで教祖が立ち上がり、印を結んでいた。
    「おお、さすが桜紀様でございます。桜紀様の力を持ってすれば、もはや“青き衣の人”の力など不要なのやも知れませぬな」
    大僧正はそう言いながら、法衣の乱れを整え、
    「近衛兵、何をしているんだ!その狼藉者をさっさと捕縛しないか!」
    唖然としているヤマモト中佐に向かって命令を出した。
    「…よろしいですか?桜紀様」
    ヤマモトは大僧正のことは半ば無視したような態度で、壇上で依然として印を結んでいる教祖に確認を求める。
    すだれ越しの影が小さく頷いた。
    「…よし!手枷をつけて西の塔に幽閉しろ!」
    ヤマモトの指示で、近衛分隊の兵士が今だ床に張り付いているナウシカの上体だけを起して、手枷をはめる。
    教祖がそれを確認して印を解くと、ナウシカはぐったりと、兵士の一人にもたれ掛かってしまった。
    兵士達は、おそらく気絶しているのであろうナウシカを、数人がかりで運び出してゆく。
    アユトは呆然とそれを見送っていたが、はっとわれに返りヤマモトに詰め寄った。
    「中佐!ナウシカを投獄するなんて!」
    「教祖様の命令だ。文句を言うとお前も同罪だぞ!」
    「しかし…」
    そういって視線を落としたアユトは、ヤマモトが手のひらに爪が食い込むほど強く拳を握っていることに気づく。
    「今は堪えろ…」
    ヤマモトは小声でそう呟いた。
    「中佐…」
    「では、僧正会の皆様。この石は拙僧が責任を持って解析いたします。
    もちろん、あのナウシカという女から巨神兵のことも聞きだします」
    「まて、大僧正殿。そのような重大事項は僧正会の決定を待って貰わねば困る」
    「どうせ、阿闍梨殿が戻らなければ決定などできないのではないですか?」
    「ぬ…」
    僧正会の面々は言葉が出ない。
    「まあ、そうは言っても拙僧に僧正会に逆らう権限はありませぬので、桜紀様にお伺いを立ててみましょう」
    そういうと、大僧正は壇上に体を向けて片膝を付く。
    「桜紀様。巨神兵復活の儀、拙僧に任せていただくということで、御異存はありませぬか?」
    一同、壇上を注視する。
    「…良きに計らえ」
    その一言に、僧正会の一同は唖然として立ち尽くしてしまった。
    「恐悦至極に存じます」
    方や、大僧正は勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、立ち上がる。
    「と言うことです、僧正会の皆々様。
    では、これにて閉会ということで…」
    大僧正のこの言葉で、教祖は静々と壇上を後にした。
    大僧正も教祖の退座を見送ると、僧衣のすそを翻して退場して行った。
    残された者たちは、沈黙のまま誰も居なくなった壇上をしばし見つめ続けていた。

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